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2015年6月18日木曜日

(問題)いいアイディアを生み出す方法(『149人の美しいセオリー』)

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今年の早いうちに読んだ本『知のトップランナー149人の美しいセオリー』は、「あなたのお気に入りの、深遠で、エレガントで、美しい説明は何ですか?」という題目に対して寄せられたエッセイ集です。学術界で活躍する人たちが主に筆をとっているので、本質的な内容自体は勉強になります。しかしむずかしい主題を短い字数にまとめ、そこから翻訳された日本語を読むわけですから、明瞭明快な文章とは言いにくいところがあります。そうではあるものの、興味の範囲を広げる水先案内としては有用な一冊だと思います(ちなみに、創発についても取りあげられていました)。

今回引用するのは、ニュースクール大学の教授マーセル・キンズボーン氏が書いたエッセイです。解答の部分は次回の投稿でご紹介します。

いいアイディアを生み出すのに、人間である必要はない。あなたが魚でもかまわない。

ミクロネシアの浅い海域に、小魚を食べる大きな魚がいる。小魚は泥の中の巣穴に住んでいるが、餌を食べるときにはわらわらと出てくる。大きな魚は小魚を1匹ずつ平らげようとするが、食べ始めたとたん、小魚たちはさっさと巣穴に戻ってしまう。さて、どうしたものか。

私はもう何年も授業でこの問題を出しているが、私の記憶が確かなら、大きな魚と同じ名案を考え出した学生はたった1人しかいない。(p.381)

蛇足ですが、わたしの出した答えは自己採点で20点といったところでした。

2015年5月24日日曜日

最低賃金の引き上げよりもすぐれた政策(ウォーレン・バフェット)

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ウォーレン・バフェットがめずらしくTweetしていました(今回で7件目)。政治と経済に関わる話題を、米ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)へ寄稿したとのことです。今回は同記事から一部を引用します。(日本語は拙訳)


Better Than Raising the Minimum Wage (WSJ)

この国の経済政策では大きな目標として次の2つを掲げるべきだ、とわたしは考えています。ひとつめは、わたしたちのような裕福な社会では、働きたいと望むあらゆる人が十分な生活をおくれるだけの収入を得られるように目指すことです。もうひとつは、そのための施策がどうであろうと、この国の市場システムをゆがめてはならないことです。それは成長や繁栄をみちびく大切な要素だからです。

ところが最低賃金をそれなりに引き上げるとする案が出てくると、ふたつめの目標は打ち砕かれてしまいます。どんな仕事だろうと、最低でも時給150ドル(=約1800円)がもらえればいいとは思います。しかしそのような最低額では、雇用が大幅に減少するのはほぼまちがいありません。基礎的な技能しか持たないたくさんの勤労者を直撃するでしょう。一方で小幅な増加にとどまれば、もちろんうれしいことはたしかですが、多くの勤勉なアメリカ人が貧困から抜け出せないままだと思います。

もっと良い解決案があります。それは、給付付き勤労所得税額控除制度(EITC)を大幅かつ慎重に形成拡張することです。現在その制度は数百万人の低所得勤労者が利用しています。請求者たる勤労者の収入が増えれば支給額は減額されますが、やる気を削ぐことにはなりません。賃金が増えれば収入全体は増えるからです。制度の使い方はかんたんです。まず確定申告をします。すると政府が小切手を送ってきてくれます。

給付付き勤労所得税額控除制度の本質は、労働に対して報酬を出し、勤労者が自分の技能を向上させるよう仕向けることです。それとあわせて重要なことがあります。市場力学をゆがめないので、雇用を最大化させることができます。

In my mind, the country's economic policies should have two main objectives. First, we should wish, in our rich society, for every person who is willing to work to receive income that will provide him or her a decent lifestyle. Second, any plan to do that should not distort our market system, the key element required for growth and prosperity.

That second goal crumbles in the face of any plan to sizably increase the minimum wage. I may wish to have all jobs pay at least $15 an hour. But that minimum would almost certainly reduce employment in a major way, crushing many workers possessing only basic skills. Smaller increases, though obviously welcome, will still leave many hardworking Americans mired in poverty.

The better answer is a major and carefully crafted expansion of the Earned Income Tax Credit (EITC), which currently goes to millions of low-income workers. Payments to eligible workers diminish as their earnings increase. But there is no disincentive effect: A gain in wages always produces a gain in overall income. The process is simple: You file a tax return, and the government sends you a check.

In essence, the EITC rewards work and provides an incentive for workers to improve their skills. Equally important, it does not distort market forces, thereby maximizing employment.

2015年4月22日水曜日

人間は戦士型か心配性型のどちらかである(『競争の科学』)

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何回か前の投稿でご紹介した『競争の科学』から再び引用します。前回は女性の判断能力に関する話題でしたが、今回はその神経科学的なメカニズムを取りあげた箇所です。

はじめは、ドーパミン処理能力に個人差がある話題です。
身体はCOMTタンパク質をつくる際、遺伝コードに従って、数百もの連鎖するアミノ酸を形成する。コドン158に到達すると、遺伝コードが指示する2つのうちのどちらかのアミノ酸がつくられる。人によって、数百ものアミノ酸配列の158番目に位置するCOMTが、バリンのタイプと、メチオニンのタイプがある。

この1文字のコード、この1つのアミノ酸の違いが、人のCOMTが働き者か怠け者かを決定している。働き者のCOMTは、怠け者よりも4倍も速く動く。働き者のCOMTはバリン、怠け者のCOMTはメチオニンで作られる。(中略)

ストレスが生じると、前頭前皮質のシナプスには大量のドーパミンが溢れる。基本的に、ドーパミンは脳にとって必要なものである。それは神経の増幅器や充電器に相当するものだ。だが、ドーパミンが多すぎると、過負荷になってしまう。

高速のCOMTを持つ脳は、ストレスをうまく処理できる。COMTが余分なドーパミンを素早く取り除くことができるからだ。

低速のCOMTを持つ脳は、ストレスをうまく処理できない。COMTが余分なドーパミンを簡単には除去できないからだ。脳はストレスによって過度に興奮し、うまく機能できなくなってしまう。

ここまでの説明だと、速いCOMTがすべてにおいて良いもので、遅いCOMTは悪いものであると思うかもしれない。だが、実際はそうではない。どちらが良いか悪いかは、ストレスを感じているかどうかによって決まる。

速いCOMTはごく短期間で機能するため、強いストレスのない平常時でも、正常に放出されているドーパミンを除去してしまう。そのため、これらの速いCOMTを持つ人は、標準的なドーパミンレベルが慢性的に低くなる。燃料室に十分なガソリンがない状態だ。前頭前皮質は機能するが、それは最適なものではない。精神を最適なレベルで機能させるためには、ストレス(とドーパミン)が必要になる。これらの人々は、最善に機能するためには、締め切りや競争、重要な試験などの、ストレスが必要なのである。

遅いCOMTはドーパミンを除去する能力が低い。だがこれは、強いストレスを感じていないときには、有利な働きをする。ドーパミンレベルが高く保たれ、前頭前皮質に満タンのガソリンが供給されるために、最適なパフォーマンスが可能になるのだ。特別な日を除けば、遅いCOMTを持つことはメリットになる。だがストレスとプレッシャーに直面し、ドーパミンが大量に放出された場合、問題が生じる。(p.101)

次は、心配性型が実は攻撃的かもしれない点について。
人間はすべて、戦士型または心配性型のどちらかであるという科学的な主張がある。ドーパミンを素早く除去する酵素を持つ人は戦士型で、恐怖や苦痛などの脅威に直面しつつも最大限のパフォーマンスが求められる環境にすぐに対処できる。ドーパミンの除去に時間がかかる酵素を持つ人は心配性型で、起こりうる事態について、事前に複雑な計画や思考をする能力がある。戦士型と心配性型のアプローチはどちらも、人類が生き残るために必要なものであった。

一見、戦士型の方が攻撃的だと思われるが、実際にはそうとも言えない。心配性型は平常時のドーパミンのレベルが高く、攻撃的反応の閾値の近くにいる。こうした人は神経質であり、感情を爆発させやすい。簡単に腹を立てるし、感情を表に出す。だがその攻撃性が効果的なものだとは限らない。「適切な攻撃性」とは、他社の攻撃的意図を正確に読み取り、解釈し、それに対処することである。心配性型は、相手にその意図がないときに攻撃性を見いだし、相手にその意図があるときに攻撃性を見逃してしまう傾向がある。一方の戦士型は、現実への備えができている。(p.103)

最後は、ドーパミン処理能力の男女差についてです。
ローアン・ブリゼンティーン博士は、著書『The Female Brain(女性の脳)』のなかで、エストロゲンをホルモンの女王と呼んでいる。曰く、エストロゲンは「パワフルで、状況をコントロールし、人を没頭させ、ときにはビジネス一辺倒で、ときには積極的に男を誘惑する女である」。エストロゲンは主要な女性ホルモンだ。それは意欲や野心を高める。

エストロゲンは、細胞内に入り込み、大量の遺伝子の転写を制御することで作用する。

そのうちの1つがCOMT遺伝子だ。

COMTプロセスに対するエストロゲンの効果は極めて劇的だ。その女性がどちらの遺伝子型かにかかわらず、それはドーパミン再吸収の速度を30%遅くする。

そのため、女性のドーパミンの基準値は男性よりも高くなる。特に排卵前と月経前の、月に2度のエストロゲンのピーク時はそうである。これにストレスが加われば、女性は簡単にドーパミン過負荷になってしまう。一般的に知られている男女の性格や行動の違いは、ストレスのもとではさらに際立つようになる。その一部は、こうしたドーパミンのレベルの違いによってもたらされるものなのである。(中略)

ライトホールとマザーは、今度はゲーム中の被験者の脳をスキャンしながら同じ実験を行い、「ストレスは男性と女性に反対の影響を及ぼす」と結論づけた。女性の場合、ストレスを感じると、脳の感情を司る部分が活性化し、それによって意思決定が混乱していた。だが男性には、感情の高まりは見られなかった。男性は、ストレスによって冷静な判断をするようになっていたのである。

ライトホールらは、脳の後部に位置する視覚大脳皮質に注目した。この領域は、相手の細かな表情から感情を読み取ることに関連している。女性がストレスを感じている場合、この領域は著しく活性化した。しかし男性の場合、この領域の活動は抑制されていた。

つまりストレス下では、男性の脳は感情的な合図を無視し、女性の脳は感情的な合図を探し求める。ライトホールとマザーの研究から学べる教訓は、女性と男性は異なる方法でストレスに対処しようとするかもしれないということだ。(p.113)

「心理学は他の学問と統合して研究するように」とは、チャーリー・マンガーがたびたび繰り返す主張です。今回引用した箇所では、その重要性がはっきりと表れています。他方、こういった学問的知見は世知のひとつとして人生の各種局面で活用できるはずです(以前とくらべると、力説できるようになりました)。それは投資戦略においても同じだと思います。この手の本は学術的な成果をわかりやすい形で示してくれるので、ありがたい本です。

2015年4月14日火曜日

女性が競争に加わるとき(『競争の科学』)

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読み進めるうちにすなおに引き込まれる本とは、読み手の興味と一致しているか、あるいは書き手の筆力や構成がすぐれているか、そのいずれかのことが多いように感じます。少し前に読んだ本『競争の科学』はいかにも現代風の装丁で、手にした段階ではそれほど興味をひきませんでした。ところが内容のほうは先に示した両方を満たしており、おおいに楽しめ、そして勉強になった本でした。個人的な今年の上位にあげたい一冊です。

今回ご紹介するのは、競争に対して女性がどのような意識を持っているのかを説明した箇所です。これと同じ話題は前にもとりあげましたが、大切なことは繰り返し触れるのが師匠の教えです。

成功の見込みが高いとき、男女の間に野心の差はなくなる。むしろ女性の方が積極的になる。男性は、勝つ見込みの少ない勝負にも賭けることがある。ときには、愚かしいまでに勝ち目のない戦いに挑むこともある。だが、女性はそのような賭けをしない。(p.130)

フルトンが説明する。「男性が戦略的でないということではなく、女性の方がコストやメリットを強く意識しているのだ。勝つ見込みが変わっても、男性が競争に参加するかどうかはあまり変化がない。だが女性が競争に参加するかどうかは、勝つ見込みと深く結びついている。女性は、勝てるかどうかに極めて敏感なのだ」(中略)「女性は極めて戦略的に競争に参加するかどうかを考え、極めて慎重に行動している」フルトンは言う。(p.132)

女性は、チャンスがあると確信するとき、男性よりも積極的に競争に参加する。また、負けて時間を浪費することを、男性よりも強く拒絶する。(p.133)

競争とは、負けのリスクをとることだ。競争に投資(時間、金、感情)をするほど、負けて失うものも多くなる。このリスクの判断方法が、女性(この場合は政治家)と男性とでは異なる。(p.135)

勝者総取り方式を選択した73%の男性の計算能力は、平均レベルを上回るものではなかった。にもかかわらず、男性はそれでも自分は勝てるという誤った考えを持っていたのである。

対照的に、女性は自らの能力を適切に評価していた。ほとんどの女性は、負ける確率が高いという理由で、勝者総取り方式には参加しなかった。だがこれは、女性には生得的にリスク回避志向があるということではない。女性は、正確にリスクを認識しているのである。女性は競争そのものを恐れているのではないし、競争を楽しんでいないわけでもない。女性は、負ける可能性を認識することに優れているだけなのだ。

一方の男性は、負ける可能性をうまく認識できず、自信過剰である。男性は、勝利だけに注目する傾向がある。競争を挑まれると、簡単には抵抗できない。(p.139)

2014年3月26日水曜日

これから坂を下る人(『シグナル&ノイズ』)

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読むのを楽しみにしていた本『シグナル&ノイズ』を読了しました。期待にたがわず、十分楽しめ、そして学ぶものがありました。本書では将来予測に関する世の中のさまざまな課題を取りあげています。過去の投稿で『異端の統計学 ベイズ』をご紹介した流れで本書のことに触れましたが、この本でもベイズ統計学的なアプローチや不確実性が重視されています。著者ネイト・シルバー氏が携わる本業や経験したことに関する話題は読ませる文章で、自然と引き込まれました。しかしそれにとどまらず、全般的に文章の構成・展開がこなれており、最後まで読み手を引っぱってくれる本だと思います。お勧めできる本です。

今回ご紹介するのは同書からの引用で、「結果とプロセス」の話題です。この話題は少し前に取り上げています(マイケル・モーブッサンの回)。

私たちアメリカ人は、結果が重視される社会に生きている。金持ちや有名人、あるいは美しい人を見ると、その人たちがそうなるのにふさわしい人だと考える傾向がある。こうした考え方は、自らを取り巻く状況をさらに強める性質をもっている。金を儲ける人はさらに儲ける機会を生み出し、有名人はさらに名声を高める方法を手にし、美の基準はハリウッドスターの容貌を変えるかもしれない。

別に政治的な意図はないし、富の再分配について議論するつもりもない。しかし、経験的に言って、成功というのは、ハードワーク、才能、そして機会と環境の組み合わせで決まる。ノイズとシグナルの組み合わせと言っていいかもしれない。私たちはたいていシグナルの要素を重視するが、うまくいかないときには運のせいにする傾向がある。世の中では、家の大きさが成功の大きさを意味し、そこにたどり着くまでに乗り越えてきたハードルについては誰も深く考えない。

予測に関して言えば、とにかく結果が重視される。株式相場の底を言い当てた投資家は天才扱いだ(欠陥だらけの統計モデルがたまたま当てたとしても)。ワールドシリーズで優勝したチームのゼネラル・マネージャーは、なにはともあれ、ほかのチームのゼネラル・マネージャーより優秀だとみなされる。そこに至るプロセスなど問題にされない。これはポーカーにも当てはまる。クリス・マネーメーカーも「幸運のカードをつかんだ素人ギャンブラー」という宣伝文句だったら、これほど話題になることはなかっただろう。

ときとして私たちは、運というものを予測が外れたことの言い訳に使おうとする。金融危機が表面化した際の格付会社のように。けれども、予測が外れた本当の理由は、現実に存在する以上のシグナルをキャッチしようとしたことにある。

この問題を解決する1つの方法は、もっと厳しく予測を評価することだ。結果を評価することで、安定的に正しく予測できるようになる分野もあるだろう。もう1つは、結果ではなくプロセスを重視する方法だ。データにノイズが非常に多いときにはこの方法しかないだろう。ノイズが多すぎて、どの予測が正しいのかわからないときは、予測者の姿勢や適性に注目しよう。それらは予測の結果と相関があるはずだ(ある意味、私たちは予測者がどのくらい正確な予測をするかを予測していると言える)。

ポーカーのプレーヤーは、こういうことを普通の人よりよく理解している。理屈抜きの浮き沈みを体験しているからだ。ドワンのように高い賭け金でプレーする人は、株の投資家が一生をかけて経験するような変動を1ゲームで経験することもある。いいプレーをして勝つ。いいプレーをして負ける。まずいプレーをして負ける。まずいプレーをして勝つ。ポーカーのプレーヤーなら誰でも、これらの状況を何度も経験するので、プロセスと結果は違うものだらけだということがわかっている。

一流のプレーヤーと話せばわかるが、彼らは自分の成功を当然のこととは思っていない。常に自分を改善しようとしている。ドワンは言った。「もう十分に上達した、ポーカーはわかった、と言う人はこれから坂を下る人だ」(p.360)


もうひとつ、おまけです。この手の文章は時折目にしますが、仮に半分割り引いたとしても、個別銘柄をさがす個人投資家にとっては大いなる福音だと感じています。

ブロジェット[元アナリストで、現在はBusiness Insiderを主宰]はこう語ってくれた。「トレーダーやファンド・マネージャーと話してみればわかると思うが、彼らは翌週か翌月、あるいは四半期先くらいのことしか考えていない。長期的な視点なんてものはない。ライバルと比較して、自分のパフォーマンスはどうか、という視点しかない。90日間で成果を出さなければ、クライアントは自分を切る。メディアにもこきおろされ、恥ずかしい思いをして、成績が地の底まで落ちる。こんな状況でファンダメンタルズなんて何の役にも立たないよ」(p.390)

2013年12月28日土曜日

能力のパラドックス(7)最終回(マイケル・モーブッシン)

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マイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」の7回目、今回でおわりです。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

能力のパラドックスに際して、どうすればよいのか

プロ野球の世界で再び4割打者にお目にかかれることはないかもしれない。スティーブン・ジェイ・グールドの言う「優秀さの広まり」が反映されたのだから、それで良しとしよう。能力が向上することで結果を形成する際に運の役割がいっそう大切になってくるのを、みなさんもさまざまな場所で目撃するだろう。では、それに際してどうすればよいだろうか。以下は私からの3つの提案である。

・能力の大きなばらつきが未だにある領域を見つけること。能力の幅が広い領域において競争するならば、上手な人は下手な人を犠牲にして勝つことができるだろう。

投資はこの例に当てはまる。成熟した市場では、事情に通じた大規模な機関投資家が取引の場を独占している。そこでは有能な参加者がしのぎをけずっており、他に先んじるのはむずかしい。一方、新興の市場では大規模な機関投資家が事情に疎い個人投資家と競い合っている。研究結果が示すところでは、平均してみれば機関投資家が個人投資家を犠牲にして超過利益を得ている。参加者として自分がもっとも有能なのか、いつでも容易に気がつくものではない。バークシャー・ハサウェイの会長兼CEOである著名な投資家ウォーレン・バフェットは、ポーカーになぞらえて指摘している。「ポーカーをやり始めて30分、カモがだれかわからなければ、そういうあなたがカモなのです」。

・絶対的ではなく、相対的に考えること。能力のパラドックスにおいて不可欠なことは、向上した度合いを測定するには絶対的な水準か、あるいは競合と比較するやりかたのどちらでもできるという考えである。たとえば100メートル走のように[他者との]直接的な働きかけがなかったり、運の要素が入らないときは、絶対的な能力こそが問題になる。しかしそうでない場合は相対的な能力で測るべきだ。その重要性は、次のビジネスの例でわかると思う。企業の能力を改善させるために単純な公式を示すベストセラー本は、山ほどある。しかしそれらが的はずれなのは、競合がとりうる行動を考慮していないことだ。ビジネスの結果とは、自己とライバルがとる行動の組み合わせである。もしあらゆる企業が同じ歩調で良くなっていけば、有利になっていく企業など存在しないことになる。

・結果ではなく、プロセスに焦点をあてること。世界的なバイオリン奏者やチェス選手になりたいならば、そういった領域では運がほとんど関与しないので、入念な練習をおよそ1万時間つづける必要がある。ここで決定的なのは、改善後にでてくる結果が自己の能力を示す上で信頼できる指標になることだ。それらの世界でなされるフィードバックが明確であいまいさがないのは、そのためかもしれない。一方、運が役割を果たす領域で競争するのであれば、プロセスつまり意思決定のやりかたに対していっそう焦点をあてるべきで、短期的な成績はそれほど信頼すべきではない。なぜなら、能力と結果をむすぶ直接的な関係が運の良し悪しによって破られるからだ。有能なのにお粗末な結果だったり、能力がないのによい結果となりうるわけだ。カジノでブラックジャックをやる例を考えてほしい。基本戦略では、配られたカードが17のときはヒットせずにスタンドすべしとしている。これは望ましいプロセスで、長い目で見れば最善であることが保証されている。しかしヒットしてディーラーのめくったカードが4だったら、まずいプロセスにもかかわらずその手で勝ちになる。つまり、結果からは能力を明かすことができない。それをできるのはプロセスだけで、だからこそプロセスに焦点をあてるのだ。

最後にもう一言。能力のパラドックスという考えをいったん受け入れたら、運勢に対して冷静でいることが適切だとわかるだろう。勝てるための最善を尽くしたなら、結果がどうであれば納得すべきだ。運が良ければ期待を越える結果になることもあるし、悪ければがっかりな結果におわることもあるだろう。そのようなときにいちばんよいのは、気を取り直して過去のことは忘れてしまい、明日からまた挑戦する心構えをもつことだと思う。

What To Do About the Paradox of Skill

We may never see another .400 hitter in professional baseball. That's alright. It reflects "the spread of excellence," using Stephen Jay Gould's phrase. You'll see skill increasing and luck becoming more important in shaping results in many places that you look. So, what should you do about it? Here are three suggestions:

-> Find realms where the variance of skill is still wide. If you compete in a field where the range of skill is wide, the more skillful will succeed at the expense of the less skillful.

Investing is a good case in point. In developed markets, large and sophisticated institutional investors dominate the trading scene. The skillful players compete with one another and it's hard to gain an edge. In some developing markets, by contrast, large institutions compete with less sophisticated individuals. Research shows that, on average, the institutions earn excess returns at the expense of the individuals. But it's not always easy to know if you're the most skillful player. Warren Buffett, the famous investor and chairman and CEO of Berkshire Hathaway, makes the point in the context of poker: "If you've been playing poker for half an hour and you still don't know who the patsy is, you're the patsy."

-> Think relative, not absolute. Essential to the paradox of skill is the idea that you can measure improvement in skill either on an absolute scale or relative to competitors. In activities where there is no direct interaction or luck - say, a 100-meter dash - absolute skill is all that matters. But when there is interaction and luck, you have to measure relative performance. Here's why this is so important, using business as an example. There are a slew of best-selling books that offer a simple formula for corporate performance improvement. These miss the mark because they fail to consider what competitors may do. Results are a combination of your actions with those of your rivals. If all companies are getting better in lockstep, no company is gaining an edge.

-> Focus on process, not outcome. If you want to become world-class as a violinist or a chess player, areas where little luck is involved, you need roughly 10,000 hours of deliberate practice. What's crucial is that your results, as you improve, will be a reliable indicator of your skill. As a result, feedback in these domains can be clear and unequivocal. If you compete in a field where luck plays a role, you should focus more on the process of how you make decisions and rely less on the short-term outcomes. The reason is that luck breaks the direct link between skill and results - you can be skillful and have a poor outcome and unskillful and have a good outcome. Think of playing blackjack at a casino. Basic strategy says that you should stand - not ask for a hit - if you are dealt a 17. That's the proper process, and ensures that you'll do the best over the long haul. But if you ask for a hit and the dealer flips a 4, you'll have won the hand despite a poor process. The point is that the outcome didn't reveal the skill of the player, only the process did. So focus on process.

One final thought. Once you've embraced the paradox of skill, you'll see that it's appropriate to have an attitude of equanimity toward luck. If you've done everything you can to put yourself in a position to succeed, you should accept whatever results appear. Some days you'll be lucky, and the results will exceed your expectations. Some days the results will be disappointing because of bad luck. The best plan will be to pick yourself up, dust yourself off, and get ready to do it again tomorrow.


「結果ではなく、プロセスに焦点をあてる」、この文章をご紹介したくて今回の話題をとりあげてきました。2013年という1年間を顧みるにふさわしい文章だと、個人的には感じています。

2013年12月26日木曜日

能力のパラドックス(6)(マイケル・モーブッシン)

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マイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」のつづき、6回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

投資: 能力ゆえに生じるランダム・ウォーク

投資の世界ほど能力のパラドックスがはっきりしている場所はないだろう。それほどまでに運の要素が重要なので、この業界の本で過去通算でのベストセラーの中に『ウォール街のランダム・ウォーカー』が入っている。しかし、全体としてみたときの投資家が有能ゆえのランダム・ウォークなのだ。企業やアナリスト、政府、メディアによって広められた莫大な情報は、投資家によってすばやく価格へ反映される。技術が進歩したことで、コンピューターの莫大な能力を数値処理に使えるようになった。そして成功による果実は十分に甘いので、最優秀の学生が次々と投資の世界へひきつけられる。

ほとんどの投資会社がやっていることをみれば、むずかしい状況だというのがわかる。同じ情報、最高のコンピューター、頭脳明晰な院卒生と、どこも同じことをしているので、それらで差をつけることはできない。一般的に株価は公になったあらゆる情報を反映するから、新しい情報だけが株価を動かせる。定義上新たな情報を予測することはできないので、株価はランダム・ウォークの形を歩みやすくなる。ランダム・ウォークという筋書きは完全に正しいわけではないが、市場を凌駕することがいかにむずかしいか強調している点はうまく配されている。野球やビジネスと同じように、[投資の世界でも]能力が向上すれば運の要素がより重要になるのだ。

しかし投資が他の領域とまったく異なる重要な観点がひとつある。スポーツを起点に考えてみると、選手の能力は時が経つにつれて人間が有する能力の限界へと近づくことは避けられない。肉体のできることは限られているため、極限に到るわずかな成績向上を勝ちとるのはむずかしい。成績を向上させようとして化学物質に頼る選手がいるのもそのためだ。しかし完全には連続的ではないにせよ、能力は時間と共に向上していく。効率性は良き方向へと磨かれていくのだ。

では、投資とスポーツをくらべてほしい。投資の世界では、効率とは価値と価格が同一であることを意味する。その場合、将来得られる全キャッシュフローの現在価値を株価が正確に反映し、ニュースは迅速的確に取り込まれる。実際のところ、経済学者による多くの実験結果において、一群の投資家が平常時には効率的な価格で取引することが示されている。問題は、投資の世界では状況が常に平常とは限らないことだ。ときには群衆に従った投資家が、価値よりもはるか遠くへと株価を導くこともある。近年に起きた2つの例として、熱狂的なドットコム・バブルが2000年初に頂点に達したことと、すさまじい恐怖によって2009年初めに底をつけたことが挙げられる。そういった状況において市場に勝つことはなおむずかしいが、市場は効率的だと言うように要求されても、それは厳しい注文だろう。

Investing: A Random Walk Because of Skill

Perhaps nowhere is the paradox of skill more evident than in the world of investing. Luck is such a big deal that one of the industry's all-time best-selling books is called A Random Walk Down Wall Street. But it is a random walk only because investors are so collectively skillful. Companies, analysts, the government, and the media disseminate gobs of information that investors quickly incorporate into prices. Advances in technology mean that there is massive computing power available to crunch numbers. And the spoils of success are sufficiently high that many of the best and brightest students are drawn to the investment world.

The challenge is that most investment firms have access to the same information, whiz-bang computers, and sharp graduate students. Those things don't set you apart. Since stock prices generally reflect all of the information that's out there, it's only new information that moves prices. And because by definition you can't predict new information, stock prices tend to follow a random walk. The random walk story is not exactly true, but its emphasis on how hard it is to beat the market is well placed. Similar to baseball and business, as skill increases luck becomes more important.

But in one important respect, investing is quite different than those fields. Take sports as a starting point. As time goes on, the ability of the athletes marches inexorably toward the limit of human performance. That last bit of performance improvement is hard fought because there's only so much a body can do. It's also why some athletes turn to chemicals to enhance their performance. But even if it is not perfectly linear, improvement over time occurs. Efficiency grinds upward.

Now compare sports to investing. In investing, efficiency means that value and price are one and the same. The price of a stock accurately reflects the present value of all of the cash flows in the future and news is rapidly and accurately assimilated. Indeed, economists have done lots of experiments to show that a group of investors will settle on an efficient price under normal conditions. The problem is the conditions are not always normal in investing. From time to time, investors follow one another in a herd, leading to prices that veer far from value. The euphoric dot.com bubble that peaked in early 2000 and the acute fear that created a market low in early 2009 are but two recent examples. In these cases, it's still hard to beat the market but you'd be hard pressed to say that the market is efficient.

2013年12月24日火曜日

能力のパラドックス(5)(マイケル・モーブッシン)

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マイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」のつづき、5回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

しかし、問題なのはここからだ。同社にとって筆頭に挙げられる競争相手も同じように在庫回転数に焦点をあて、同時期に5.1回から8.1回へと改善できたのだ。先に挙げた会社は絶対的な成績という意味では強化されたが、相対的な位置づけは後退してしまった。これが能力のパラドックスが教えてくれる教訓のひとつである。競争によって打ち消されてしまうのであれば、絶対的な観点で良くなることは重要ではない。今日の打者は昔とくらべて良くなっているが、それは投手も同じことだ。向上した分は、互いに及ぼし合う影響によって目立たなくなってしまう。同じように、先の小売会社は1994年とくらべて2002年のほうが改善されたが、実のところは最大の競争相手に水をあけられてしまった。

消費財における類似品目間の品質の差異はだんだんと縮小していることが研究によって指摘されている。このことは能力のパラドックスに当てはまるもうひとつの知見と言える。企業が供する製品の品質は過去においては幅広かったので、概して価格が品質の差異を反映していた。たとえば自動車には低価格な手抜き製品がある一方、丹念に製造された高価な車もあった。

時が経つにつれ、品質の差は狭まってきた。その結果、今では顧客は価格と品質を天秤にかけることが少なくなり、その一方で便利さやアフターサービス、店舗の場所といった他の要因を重視するようになってきた。このことは売上げを守る点において運の果たす役割を広げ得る。おそらくビジネスの世界でも野球と同じように能力の分布が引き締まり、運の要素が結果に対して大きな役割を果たすようになってきている。

Here's the problem: the retailer's number one competitor also happened to be focused on inventory turnover and was able to take its ratio from 5.1 times to 8.1 times during the same period. So even as the first retailer strengthened its absolute performance, its relative position weakened. This is one of the lessons of the paradox of skill. Getting better in an absolute sense doesn't matter if it's offset by the competition. Hitters today are much better than they were in the past, but so are the pitchers. The improvement is obscured by the interaction. Likewise, the first retailer was better in 2002 than it was in 1994 but it actually lost ground relative to its prime competitor.

Research has pointed out the variance of quality in consumer goods has narrowed over time, another finding that's consistent with the paradox of skill. In years past, companies offered products across a wide spectrum of quality, and prices by and large reflected that quality gap. For instance, some automobiles were cheap and shoddy, and others were expensive but well made.

Over time, the gap in quality has narrowed. As a consequence, customers now rely less on price-quality trade-offs and more on other variables, including convenience, after-sale service, and store location. This can enhance the role of luck in securing the sale. In business as in baseball, the skill distribution has likely tightened allowing luck to play a growing role in outcomes.

2013年12月22日日曜日

能力のパラドックス(4)(マイケル・モーブッシン)

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マイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」のつづき、4回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

ビジネス: 良くなれないということは、悪くなるということ

それでは次はビジネスの世界をみてみよう。ここで大切なのは、運によってビジネスの結果が大きく左右されることを最初に認めることだ。野球では20cmほどの打球の軌跡差が安打とアウトを分けることがあるが、それと同じようにビジネスも無作為に依る影響を大きく受ける。

そのような無作為を産むものはいくつかある。ひとつには、競合が何をたくらんでいるのか知り得ないことがあげられる。企業同士がおだやかに競争することで、業界にとって好ましい結果につながることもある。一方で競争相手が値下げや能力増強といった戦略をとることもあり、その場合には応酬をまねく。自分の計画を知っていても、競合の計画はわからない。経済学の一分野であるゲーム理論では、ゲームに参加する者同士の行動や反応を研究する。しかし競争相手が増えれば、即座に不確実性が増すのだ。

顧客という要素もビジネスにおける無作為の根源である。当然ながら、企業は多大な時間と労力を費やし、顧客の望みや必要なものを当てようとする。しかし新製品の成功率が示すように、それは容易ではない。たとえ企業が競争相手や顧客を解読できたとしても、技術の変化に対応していかなければならない。メディア産業をみれば、新聞やラジオ、テレビ業界においてこの数十年間に起きた変化を正しく予想していた経営陣はいったいどれだけいただろうか。これから先、どこに向かうのかわかる人はいるだろうか。ビジネスも自前の運勢ビンを持っており、そこに入っているカードの数字は幅が広いのだ。

Business: If You're Not Getting Better, You're Getting Worse

Now let's take a look at the business world. It's important to start with the acknowledgement that luck plays a large role in the results for business. Just as in baseball, where the difference between a hit and an out might be six inches of flight trajectory, business has a lot of randomness.

There are a few sources of that randomness. For one, you never know what your competitors are going to do. Sometimes companies compete in an orderly fashion and the outcome is good for the industry. Other times competitors may develop a strategy to drop prices, or add capacity, that forces a reaction. So even if you know what your plans are, you don't know those of your competitors. Game theory is a branch of economics that studies how players act and react to one another, and as you add players to the competition, the unpredictability rises quickly.

Customers are another source of randomness in business. Naturally, companies spend lots of time and effort anticipating what their customers want and need, but the success rate of new products shows that there's no easy way to do so. And even if a company can decipher its competitors and customers, it has to deal with changes based on technology. Consider the media business: how many executives in the newspaper, radio, and television industries properly anticipated the changes of the last couple of decades? Who knows where things are going from here? Business has its own version of the luck jar, and there's a wide range of numbers.

2013年12月20日金曜日

能力のパラドックス(3)(マイケル・モーブッシン)

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マイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」のつづき、3回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

最高の能力から最低の能力までの差は、なぜそれほどまでに狭まったのか。2つの要因を以ってすれば、この現象の大部分を説明できる。まずプロ野球が始まった頃は、米国北東部の白人選手しかとらなかった。しかし球界は次第に人種を問わず選手を雇い始めた。その範囲は当初米国内全体からだったが、結局は全世界へと広がった。選手候補者を見いだす場を大幅に広げたのだ。ドミニカ共和国やベネズエラ、日本から来たハングリーな選手は新たな水準の能力を試合の場へもたらしてくれた。もうひとつ確かなのは、1940年代以降には練習内容が大幅に改善され、能力が収束する一因となったことだ。才能豊かな選手を幅広く採用するとともに、研ぎすまされた練習技術が加わることで、より高度で統一的な水準の能力が球界全体にわたって得られるようになった。

能力ビンの釣鐘曲線が次第にやせていくのに対して運勢ビンのほうが同じ形でいることは、能力が広く向上すると結果を決めるうえで運勢がいっそう重要になることを意味する。一般的に選手は昔の時代よりも現在のほうが高い能力を有しているので、成績はますます運だよりになる。このことは他の分野にも同じように及ぶ。

すぐれた理論から導かれる予測は、検証することが可能である。能力のパラドックスが説くところでは、(投手対打者などの)お互いのやりとりによって相殺されることがなく、さらには幸運を必要としない分野においては、絶対的な意味での成績は向上するが、相対的にみた成績は一群にまとまることが当然予想されるとしている。これはまさに水泳や陸上競技においてみられる現象だ。

当然ながら人間の生理的能力には絶対的な限界がある。男性が走る速さには限度があるし、女性が泳ぐすばやさにも限りがある。しかし能力が向上し、そして収束する様子は広くみられる。たとえばオリンピックの男子マラソン競技で、優勝者のタイムは1932年から2012年までに23分短縮された。また1位と20位の時間差も同じ時期に39分から7分半へとちぢまったことが示されている。運勢や相互のやりとりが能力のパラドックスをあいまいにする部分もあるが、それぞれの場合ごとに[能力差を収束させる]主要な要因が存在しているのだ。

Why did the range of skill from the best to the worst narrow so much? Two factors can explain a great deal of the phenomenon. When professional baseball began, it drew only white players from the Northeastern part of the U.S. But over time, the league began recruiting players of all races, from all parts of the U.S., and eventually from all around the world. This greatly expanded the pool of talent. Hungry players from the Dominican Republic, Venezuela, and Japan brought a new level of skill to the game. In addition, training has improved greatly since the 1940s, which has certainly had an effect on this convergence of skills. Combine more access to talented players with sharpened training techniques and you get a higher, and more uniform, level of skill throughout the league.

That the bell curve in the skill jar gets skinnier over time while the bell curve in the luck jar remains the same means that as skill improves for the population, luck becomes more important in determining results. On average, players have greater skill today than they did in years past but their outcomes are more tied to luck. This extends to other realms as well.

A good theory makes predictions that we can test. The paradox of skill says that in fields where there is no offsetting interaction (for example, pitcher versus hitter) and no luck, we should see absolute results improve and relative results cluster. This is precisely what we see in events such as swimming and track and field.

Naturally, human physiology limits absolute performance - a man can run only so fast and a woman can swim only so swiftly. But we see improvement and convergence broadly. For example, the winning time for the men's Olympic marathon dropped by more than 23 minutes from 1932 to 2012. As revealing, the difference between the time for the winner and the man who came in 20th shrunk from 39 minutes to 7.5 minutes over the same period. Luck and interaction can partially obscure the paradox of skill, but the core elements are there in case after case.

2013年12月18日水曜日

能力のパラドックス(2)(マイケル・モーブッシン)

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前回からご紹介しているマイケル・モーブッサンの「能力のパラドックス」のつづきです。(日本語は拙訳)

成功を得るためのビン

2つの広口ビンを想像してみよう。片方のビンは能力を、もうひとつは運勢をあらわす。それぞれのビンには数字が印刷されたカードが詰められている。その数字の頻度分布は釣鐘曲線型になる。釣鐘曲線を定義するには平均値と標準偏差の2つが必要だ。釣鐘の頂上から両端へ向けて曲線が対称的に降りていくので、両側には同じ枚数のカードが登場する。標準偏差とは釣鐘の両端部が平均からどれだけ離れているかを測るもので、やせた釣鐘ならば標準偏差の値が小さくなり、太った釣鐘ならば大きくなる。

それぞれのビンに入ったカードの大半は平均値に近い値をとっている。わずかのカードだけが、平均値から離れた値が記されている。能力のビンから1枚、運勢のビンからも1枚とり、それらを加算することで打率を決めよう。つまり、ビンからひいた数字がその人の打撃能力と幸運の度合いをあらわしている。すばらしい選手であってもシーズンによっては不運に終わり、実力以下の打率しか残せないことがある。平均以下の選手が馬鹿ヅキして実力以上の打率を残すこともある。ウィリアムズが残した打率4割6厘のためには、ものすごい能力とすばらしい幸運が必要だ。彼は両方のビンから平均をはるかに上回る数字を引き当てたのだ。

それぞれのビンの数字を足して平均を求めてみよう。まずは運勢ビンから。シーズンを通してみれば、ツイている選手もいれば不運の選手もいる。つまり運勢は平均すればゼロになると考えてよい。一方、能力ビンの平均は全選手の打率の平均値とほぼ等しくなる。これは過去75年間ほどで2割6分から2割7分前後で変動している。能力の平均値が上がらない理由は、たとえ今日の打者が以前より優れていたとしても、打率とは投手と打者の対決結果を示すものだからだ。投打が足並みそろえて改善すれば、打率がそのままでも全体としての能力は急激に向上しうる。投手対打者の腕合戦をながめていると、選手の能力が向上しているのに一定のままでいるような錯覚に陥る。

さて、グールドの重大な洞察とは「能力の標準偏差は次第に小さくなっていく」だった。[能力の]釣鐘曲線において両極端な値が平均へと近づき、太った形からやせた形へ変わる様子を思い浮かべてほしい。つまり運勢の分布がほとんど変わらなくても、打率の標準偏差は次第に減少するということだ。これがまさしくグールドが示したものである。ウィリアムズが偉業を達成した時代、すなわち1940年代の打率の標準偏差は0.0326だった。そして2000年代最初の10年間では0.0274だった。統計的に言えば2011年に打率3割8分を記録することは、70年前にテッド・ウィリアムズが記録した4割6厘に相当する。

The Jars of Success

Imagine two jars, one representing skill and the other luck, that are each filled with cards with numbers printed on them that comprise a bell curve. Bell curves are defined by a mean, or average, and a standard deviation. From the top of the bell, the curve slopes down the sides symmetrically with an equal number of observations on each side. Standard deviation is a measure of how far the sides of the bell curve are from the average. A skinny bell curve has a small standard deviation and a fat bell curve has a large standard deviation.

So most cards in each jar have values at or near the mean, and a few cards are marked with numbers that have values far from the mean. To determine an outcome, you draw one number from the skill jar, one from the luck jar, and add them. Relating this to batting averages, you could say that a player has a certain amount of hitting skill - the number he drew from that jar - and some luck. A great player can have an unlucky season that results in a batting average below his true skill, or a below-average player can enjoy substantial luck and hit at an average that overstates his skill. Hitting .406 as Williams did requires tremendous skill and terrific luck. He drew numbers from both jars that were far above average.

Let's put some numbers to the averages in each jar. Let's start with the luck jar. While for a season some players will have good luck and others bad luck, we can safely assume that luck is zero on average. That says that the average of the skill jar will approximate the batting average for all of the players combined, which has vacillated around .260-.270 in the last 75 years or so. The reason that average skill hasn't gone up, even though the hitters today are better than in the past, is that batting average represents a duel between pitcher and hitter. If pitchers and hitters improve roughly in lockstep, the overall skill can improve sharply even as the batting average remains steady. The arms war (pun intended) between pitchers and hitters creates the illusion of stability even as the players improve.

Here was Gould's crucial insight: the standard deviation of skill has gone down over time. Imagine the bell curve going from being fat to skinny. The extreme values are closer to the average. So even if the luck distribution doesn't change a bit, you should expect to see the standard deviation of batting averages decline over time. And that is precisely what Gould showed. The standard deviation of batting averages was .0326 in the 1940s, when Williams achieved the feat, and was .0274 in the first decade of the 2000s. In statistical terms, hitting .380 in 2011 is the equivalent to the .406 that Ted Williams hit 70 years earlier.

2013年12月16日月曜日

能力のパラドックス(1)(マイケル・モーブッシン)

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以前にご紹介したマイケル・モーブッサン(クレディ・スイスのストラテジスト)が書いた新刊の翻訳を待ちつづけていたものの、どうやら(少なくとも)今年はダメなようです[過去記事]。そこで情報がないかさがしていたところ、同書の宣伝材料的な文章を彼が書いていました(掲載サイト: changethis.com)。短めのものですが、数回に分けて全訳をご紹介します。(日本語は拙訳)

The Paradox of Skill - Why Greater Skill Leads to More Luck (PDFファイル)
(能力のパラドックス: 能力が向上するにつれ、ますます幸運頼みになるのはなぜか)

偉大な選手にとっては何のことはない技でも、それを披露する機会を堪能できた。しかし選手全般の能力が改善されてそれらが消滅すると、打率のばらつきは減少せざるを得ない。つまり平均的な成績は、人間が有する可能性の限界へと向かうのだ。(スティーブン・ジェイ・グールド)


さて、能力を向上させるためにどうしたらよいか、あなたもご存じだろう。1万時間の投入、刻苦勉励、入念な訓練、根性、そして周到なる師匠。どれも聞いたことがあるものばかりだ。その一方で、人生におけるさまざまな活動であげた成果は、能力と幸運が組み合わせで達成されたと認識しているだろう。たしかにそのとおり。では多くの場合において能力を向上させるとますます幸運をたよるようになる、と言ったらどう思われるか。そう、能力が向上するほど幸運が不要になるのではなく、いっそう必要になるのだ。スポーツやビジネス、あるいは投資に興味がある人ならば、ここから学べるものがあると思う。

スティーブン・ジェイ・グールドはハーバード大学の名の知れた進化生物学者だったが、野球に関する文章を書くことを好んでいた。ある最上のエッセイでは、「テッド・ウィリアムズが1941年に4割6厘を記録して以来 、なぜメジャーリーグの選手はシーズンを通して4割以上の打率を維持できないのか」について語られている。まずグールドは、よくある説明を検討してみた。ナイターが増えたとか、移動が多いとか、守備が上手くなったとか、リリーフ投手を以前よりも多用するとか。しかしどれも条件を満たさなかった。

そこでグールドはこう考えた。たぶんウィリアムズはある種途方もない選手だったのだろう。彼以前のだれよりも上手く、彼以降のだれよりも上手い選手だと。しかしそれは到底信じられない、彼はそう結論づけた。水泳やランニングのような所要時間を計測するあらゆるスポーツでは、選手の能力は向上してきた。野球選手だって同じで、以前より良くなっているのだ。より速く、より強く、ますます壮健になり、練習内容も進歩している。

では、4割打者が根絶された謎をどうすれば解けるだろうか。いちばんよいのは、単純なモデルを用意して、能力が向上するとますます幸運頼みになるのを示すやり方だ。それがうまく説明できれば、ほかの領域ではどうなるかこのモデルを適用できる。それぞれの分野の登場人物が能力を研ぎ澄ましていたとしても、運勢はますます揺れ動くと判明するだろう。これが能力のパラドックス[逆説]である。

Variation in batting averages must decrease as improving play eliminates the rough edges that great players could exploit, and average performance moves toward the limits of human possibility. - Stephen Jay Gould


Okay, you have gotten the memo on improving skill: 10,000 hours, hard work, deliberate practice, grit, and attentive teacher. We’ve all heard it. you also recognize that in many of life’s activities, the results you achieve combine skill and luck. no debate there. now, what if I told you that in many cases improving skill leads to results that rely more on luck? that’s right. Greater skill doesn’t decrease the dependence on luck, it increases it. If you have an interest in sports, business, or investing, this lesson is for you.

Stephen Jay Gould was a renowned evolutionary biologist at harvard university who loved to write about baseball. one of his best essays was about why no player in Major league Baseball had maintained a batting average of more than .400 for a full season since ted Williams hit .406 in 1941. Gould considered several conventional explanations, including more night games, demanding travel, improved fielding, and more extensive use of relief pitching. none checked out.

Maybe Williams was some sort of freak player, Gould thought, better than all of those who came before him as well as all of those who followed. that’s implausible, he concluded, because in every sport where performance is measured versus a clock, including swimming and running, athletes have improved. Baseball players, too, are better than they were in the past: faster, stronger, more fit, and better trained.

So how do we solve the mystery of the vanishing .400 hitter? the best approach is to set up a simple model that explains how greater skill can lead to a greater reliance on luck. We’ll then apply our model to other realms to see if it explains what we see there. In each case, we’ll see that luck has more sway even as participants hone their skill. It’s the paradox of skill.


ところで「1万時間」と言えば、やはり『究極の鍛錬』を指しているのでしょうか。

2013年12月12日木曜日

中国は活力を失うのか(経済学者ダロン・アセモグル他)

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少し前に読んだ本『国家はなぜ衰退するのか』はそれなりに勉強になるところもあったのですが、気鋭の経済学者が書いたせいか、持論を踏まえて大胆な予測を試みている点がひっかかりました。今回引用するのはその話題、「今後の中国がどうなるか」について書かれた文章です。

私たちの理論は、中国に見られるような収奪的政治制度下の成長は持続的成長をもたらさず、いずれ活力を失うことも示唆している。(下巻 p.247)

こんにちの中国の経済制度が30年前とは比べものにならないほど包括的であるにしても、中国の経験は収奪的政治制度下の成長の例だ。近年、中国ではイノヴェーションとテクノロジーに重点が置かれているものの、成長の基盤は創造的破壊ではなく、既存のテクノロジーの利用と急速な投資だ。(下巻 p.250)


この手の本は好んで読むようにしていますが、著者が自説にこだわりすぎないもののほうが個人的には納得しやすいと感じています。以前に挙げたかと思いますが、たとえばキンドルバーガーの『経済大国興亡史』のような書き方には好感をもっています。

2013年10月20日日曜日

実は自分が「いちばんバカ」(ジェイソン・ツヴァイク)

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何度か取り上げている文章家のジェイソン・ツヴァイクは、ウォール・ストリート・ジャーナルのコラムニストでもあります。彼の書いた短めの記事が同紙のWebサイトに掲載されていたので、ご紹介します。いつもと同じように、認知心理学的な話題です。(日本語は拙訳)

How Many 'Greater Fools' Does It Take to Make a Bubble? (WSJ)
(「もっとバカ」がどれだけいれば、バブルになるのか)

しかしながら最近の知見によれば、バブルを引き起こすのは情報不足のトレーダーではなく、情報過多のトレーダーによると示唆されている。

(中略)

この実験に参加したカルテックの学生は、脳をスキャンされながらラボで実施している株式取引ゲームを見学することになった。その実験上の市場では、株式の根源的な価値は配当収入にもとづいており、最終的にはほぼゼロへと減少していく。

実験中の半数のセッションでは、参加者はバブルには至らない取引を見学した。そこでは価格はすばやく根源的価値へと収束していた。もう半数では、トレーダーたちが株価を根源的価値の2倍から4倍へ吊り上げ、バブルをうみだしていた。が、やがて破裂し、彼らの多くはすっからかんになった。

しかし実験の参加者は単に他人の取引をながめていただけではなかった。ゲームの間に、彼らは直近の市場価格で取引する機会をなんども手にしていた。

あとになって研究者は、参加者が他人の心中をどれだけ正確に推測していたか、彼らの目の撮影をもとに判定した。

この判定で高得点をあげた者は、他人が何を感じているか想像することに関わる脳の領域が、株の取引中に大きく「活性化」していた。これは特にバブルが生じた市場においてみられた。それに対して通常の取引がされていた市場では、前頭前野背内側部と呼ばれるその領域の賦活度は、取引の成績とは無関係だった。

このことはトレーダーが他人の行動にいっそう注意をはらうのは、平穏な市場よりもバブルのさなかであることを示唆している。

さらに、「バブルに乗じよう」とする最低の傾向がある人は、価格が上昇して根源的価値から離れていくほどに夢中になって買っていた。その際に、他人がどのように取引しているか特に注意ぶかく観察していた。

キャメラー教授は言う。「自分のようにはうまく身を御せなかったり、将来を予知できない人がいるだろうから、その連中に売ればいい。そのように考えた結果、人は買いにでるようです」。

別の言い方をすれば、値段が上がり、「自分よりバカ」な相手をみつけて売りつけるのに忙しくなると、実は自分が「いちばんバカ」だということに気づけなくなっているのかもしれない。

The latest findings suggest, however, that bubbles might be caused not by traders who lack information but by those who have too much.

(snip)

In the experiment, Caltech students had their brains scanned while they viewed a stock being traded in a laboratory game. In that experimental market, the fundamental value of the stock was based on its payments of dividend income and declined almost to zero by the last round.

In half the sessions, the participants viewed trading that hadn't resulted in a bubble, with prices that quickly converged on fundamental value. In the other half, traders had driven the stock to multiples of two, three and four times fundamental value, creating bubbles that then burst - wiping many of them out.

But the participants didn't just watch the trades of others; several times during each round of the game, they got the chance to trade at the latest market prices.

Later, the researchers tested how accurately the participants could infer what is on another person's mind based on a photograph of his or her eyes.

Those who scored high on this test showed greater "activation," while they were trading, in a region of the brain associated with imagining what others are feeling - especially during bubble markets. In normal markets, activation in that part of their brain, called the dorsomedial prefrontal cortex, was unrelated to their trading performance.

That suggests that traders pay more attention to what others are doing in the midst of a bubble than they do in placid markets.

Furthermore, those with the worst tendency to "ride the bubble" - buying more enthusiastically as prices soared away from fundamental value - paid particularly close attention to other traders' actions.

"People seem to be buying," Prof. Camerer says, "because they think they can sell to somebody else who isn't able to control himself as well as they can or isn't as prescient as they are."

In other words, as prices rise and you intensify your search for that "greater fool" you can sell to, you may get distracted from noticing that the greatest fool of all is you.

2013年5月16日木曜日

株式時価総額とGDPの比較グラフ

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久しぶりにGDPの話題です。ウォーレン・バフェットが株式市場全体の値ごろ感をみるときに、株式時価総額がGNP(≒GDP)の何%に相当するか比較する話はよく知られています。個人的にもそのやりかたをまねして、ときおり日本にも当てはめています。以下の2か所のデータを使って算出しています。

国民経済計算(GDP統計) (内閣府)
東証株式時価総額 (東京証券取引所)

なお他取引所については、小規模だったり東証との重複上場があるため、個人的には考慮に入れていません。

さて、今回ご紹介する以下のWebサイトですが、自分が望んでいたそのものが掲載されており、とてもありがたいものでした。上述の計算結果が昔からのデータを使ってグラフ化されています。

Japan Market Capitalization to GDP (VectorGrader)

同サイトからグラフを2つほどお借りします。まず日本市場における株式時価総額対GDP(1970年以降)のグラフです(上部が時価総額対GDP、下部がおそらく日経平均)。


これをみて意外だったのは、日本市場では株価の高かった2000年当時よりも、直近のピークである2007年のほうが時価総額が大きかったことです。経済の裾野が広がったということでしょうか。

一方、アメリカ株式市場の状況(1950年以降)は次のグラフです(下部はおそらくS&P500)。


個人的な見解になりますが、この指標は厳密な指針を与えてくれるものとはとらえていません。「方向性がだいたい当たっている」程度のものと受けとめています。ちなみに2001年当時のウォーレンの発言では、GNP比で70-80%あたりを下回った時に買えばうまくいくとしています。

ご参考までに、以下の過去記事でもGDPについてふれています。コメント欄では、独自の分析結果をご紹介して頂いています。

GDP成長率と株式リターン率の関係(GMO)

(追記)コメント欄でご指摘を頂いています(NIGHT0878さんより)。2000年当時の日経平均は、銘柄入替え時に不連続性が生じているとのことです。

2013年2月13日水曜日

チェーンソーでバターを切る(エイモリー・B・ロビンス)

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エネルギー問題に正面からとりくんだ意欲作『新しい火の創造』を読み終えました。エネルギーや気候問題となると悲観的な予測がつきものです。しかし本書の著者は、あくまでも人間の知恵を頼りに総力戦で立ち向かうことで、希望のある未来を手にできる可能性を示しています。具体的には、エネルギー利用効率を大幅に改善させ、一方で再生可能エネルギーへの移行を政策面から推進するために、多岐にわたる手段やアプローチを提案しています。安全余裕をとりたいために、個人的にはものごとを悲観的にみることが多いのですが、著者の前向きな姿勢には随所で励まされました。本書で描いたシナリオのような楽観的な世界がそのまま実現するとは、著者自身も考えてはいないでしょう。ですが、それを承知で書き物にし、実現可能性の裏をとり、各界に働きかけていく行動力には、すなおに拍手をおくりたくなります。アメリカという国の、健全で壮健な一面をみせてくれる著作です。

本書には印象に残る文章がいくつもありますが、今回は株式投資の観点で直接参考になりそうな箇所を引用します。第4章「工業」からです。

ダウケミカル社は、数百トンものプラスチックから太陽電池の屋根用パネルまでの全てを製造するのに、途方もない量のエネルギーを使う。巨大な原子力発電所まるまる3基分に相当する3.7ギガワット(370万キロワット)を超える電力を必要とするのだ。これは、オランダが使う量を超えるほどの石油を燃やす。その結果として、効率を僅かでも向上させるだけで、最終利益に大きなプラスが出てくる。そこで、ダウ社はエネルギー消費削減策を執拗に追い求めている。同社は、テキサス州フリーポートにあるエチレン炉を取り替えたり、精製設備を効率の高いものにするという簡単なものや、アントワープでプロピレンオキサイド(ポリウレタン樹脂の原料)製造プロセスに、エネルギー消費が35%少ないまったく新しいプロセスを開発するという複雑なことを実施している。

数千件に上るこのようなプロジェクトを経て、ダウ社は1990年と2005年の間で、そのプロセスのエネルギー強度を38%引き下げ、効率と利益をともに押し上げている。同社は、1994年と2010年の間で、10億ドルを要したエネルギー効率向上策によって94億ドルを削減できたと計算している。2008年にエネルギー価格が急騰した時に、ダウ社は、効率のもっと低い競争相手に対して決定的なコスト優位性を示したのだった。

実のところ、エネルギー効率がダウ社にとってこれほど優れた事業戦略であることが実証されたため、さらに効率を上げようと懸命である。現在2015年までにエネルギー強度をさらに25%引き下げることを狙っているのだ。そして、2011年2月に、幹部は効率向上に向けた新しい活動をいくつも実施するのに、1億ドルを投資すると発表した。この投資プロジェクトは、並外れた財務的リターンをもたらしてくれると、ダウ社のエネルギーと気候変動担当副社長であるダグ・メイは述べている。

エネルギー効率に焦点を当てているのはダウ社に限ったものではない。もう一つのパイオニアは製造コングロマリットであるユナイテッド・テクノロジー社だ。エネルギー消費に狙いを定めて、2003年と2007年の間で、会社全体でのエネルギー強度を45%、2006年と2010年の間の地球温暖化ガス排出を62%切り下げている。その一方で、販売量は13%伸び、1株当たりの収益は28%上がり、1株当たりの配当は67%上昇した。また、保護フィルムやポストイット付箋など、全てにわたるイノベーターである3Mを検討してみよう。同社は、エネルギー効率を大きく改善したチームを認定するプログラムを開発することで、効率を22%上げ、2005年から2009年の間に1億ドルを超えるコスト削減を実現した。

とは言うものの、これと同じ期間に、3Mは200億ドルを超える累積利益を計上しており、それからすると、同社のエネルギー効率化プロジェクトはまだ総投資額のほんの一部(約0.1%)でしかない。このギャップが示唆しているのは、3Mは効率向上機会の表面をちょっとこすっただけだということだ。しかし、3Mをはじめとする他の多くの起業家精神豊かな会社は、効率化の追求を急速に深めつつあり、エネルギーの削減量を増やすだけでなく、さらにもっと効率を上げる新技術を開発販売できることに気づき始めている。(p.283)


米国の経済社会では、ほんの13%ほどのエネルギー効率しかなく、世界の経済社会では大体10%ほどしかない。現在もっともエネルギー効率が高い工業プロセスですら、理論的に必要なエネルギーの2-3倍は消費している。従って、エネルギー節減の潜在可能量は、巨大なものとなる。

工業部門はなぜ理論的に必要なものよりもこのように大きなエネルギーを使うのだろうか。必要なものより高い温度や圧力で稼働させているからだ。低品質のエネルギーで十分間に合う時に高度な品質のエネルギーを使う--量的には100%使うが質的には6%だけになる--ため、ある建築家が表現したように、まるで"チェーンソーでバターを切るようなものだ"。多くのプロセスで同様なことが行われている工場がほとんどである。(p.309)


こちらはおまけです。第5章「電力」からの引用です。

よく引用される統計によると、90マイル四方の広さがあって、太陽電池パネルなり太陽光集光設備でそこを覆うとすれば、米国がいま必要としている年間総電力量を発電できるという。だが、それは全体の話の一面にすぎない。国立再生可能エネルギー研究所(NREL)と米国エネルギー省による研究では、米国は、豊かで地域的に広く分布した風力、バイオマス、水力、太陽、地熱に恵まれている。設備が置けて、そこそこの風が吹くところでの陸上風力発電だけで、米国が2010年に消費した電力の9.5倍を発電できる。全部合わせると、このような再生可能エネルギー資源は、現時点で商用化されている技術を使って、年に7万5000TWhの発電をする力がある。これは全米で2010年に消費された電力の20倍に相当する。(p.390)


文中にでてきた研究の報告書と思われるファイルが、Web上に公開されていました。

20% Wind Energy by 2030 (米国エネルギー省 国立再生可能エネルギー研究所)
(2030年までにエネルギー供給の20%を風力発電でまかなうシナリオの研究報告)

2012年12月28日金曜日

ビジョナリー・カンパニーのその後(ダニエル・カーネマン)

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前回に続き、カーネマンの『ファスト&スロー』から引用します。今回は「たぐいまれな」能力を持つCEOの話題です。

多かれ少なかれ成功した企業同士の比較は、要するに、多かれ少なかれ運のよかった企業同士の比較にほかならない。読者は運の重要性をすでに知っているのだから、めざましい成功を収めた企業とさほどでない企業とを比較して、ひどく一貫性のあるパターンが現れたときには、眉に唾をつけなければならない。偶然が働くケースで出現する規則的なパターンは、蜃気楼のようなものである。

運が大きな役割を果たす以上、成功例の分析からリーダーシップや経営手法のクオリティを推定しても、信頼性が高いとはいえない。たとえCEOがすばらしいビジョンとたぐいまれな能力を持っているとあなたがあらかじめ知っていたとしても、その会社が高業績を挙げられるかどうかは、コイン投げ以上の確率で予測することはできないのである。『ビジョナリー・カンパニー』で調査対象になった卓越した企業とぱっとしない企業との収益性と株式リターンの格差は、おおまかに言って調査期間後には縮小し、ほとんどゼロに近づいている。トム・ピーターズとロバート・ウォータマンのベストセラー『エクセレント・カンパニー』で取り上げられた企業の平均収益も、短期間のうちに大幅減を記録している。(p.302)


最近取り上げたチャーリー・マンガーの言葉「平均してみれば、ビジネスの質にかけるほうが、経営者の質にかけるよりもよいでしょう」が思い返されますね。(過去記事)

2012年12月26日水曜日

自信を持つなど言語道断である(心理学者ダニエル・カーネマン)

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以前とりあげた心理学者ダニエル・カーネマンの新刊『ファスト&スロー』が翻訳されていました。過去記事では、題名の訳を『ぱっと考える、じっくり考える』としてご紹介したものです。現在は上巻を読み終えた段階ですが、内容の充実ぶりに圧倒されています。一般向けの心理学の本は少しずつ読むようにしていますが、本書はチャーリー・マンガーの推薦書『影響力の武器』にならぶバイブル級の一冊になると思います。

重要な意思決定をしなければならない人にとって、参考になるところが多い作品です。投資家のみなさんにも、一読されることを強くおすすめします。

今回は同書から、自信や信念に関する話題を引用します。

あなたはどうしても、手持ちの限られた情報を過大評価し、ほかに知っておくべきことはないと考えてしまう。そして手元の情報だけで考えうる最善のストーリーを組み立て、それが心地よい筋書きであれば、すっかり信じ込む。逆説的に聞こえるが、知っていることが少なく、パズルにはめ込むピースが少ないときほど、つじつまの合ったストーリーをこしらえやすい。世界は必ず筋道が通っているという心楽しい信念は、盤石の土台に支えられている。その土台とは、自分の無知を棚に上げることにかけて私たちはほとんど無限の能力を備えている、という事実である。(p.293)


システム1[瞬発的に判断する機能]は、ごくわずかな情報から結論に飛躍し、しかも飛躍の幅がどの程度かがわからないようにできている。「見たものがすべて」なので、手元にある情報しか問題にしない。それに基づく結論のつじつまが合っていさえすれば、自信が生まれる。私たちが自分の意見に対して抱く主観的な自信は、システム1とシステム2[熟考する機能]がこしらえ上げたストーリーの一貫性に裏付けられているのである。情報は少ないほうがつじつま合わせをしやすいので、情報の量と質はほとんど考慮されない。私たちは、人生で信じていることのうち最も重要ないくつかについては、何の証拠も持ち合わせていない。ただ愛する人や信頼する人がそう信じている、ということだけが拠りどころになっている。自信を持つことはたしかに大切ではあるが、私たちが知っていることがいかに少ないかを考えたら、自分の意見に自信を持つなど言語道断といわねばならない。(p.304)


自信は感覚であり、自信があるのは、情報に整合性があって情報処理が認知的に容易であるからにすぎない。必要なのは、不確実性の存在を認め、重大に受け止めることである。自信を高らかに表明するのは、頭の中でつじつまの合うストーリーを作りました、と宣言するのと同じことであって、そのストーリーが真実だということにはならない。(p.309)


蛇足ですが、字数が多くてうれしいと感じた本は久しぶりでした。

2012年12月25日火曜日

2012年の投資をふりかえって(2)一口投資で撤退編

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ピーター・リンチが投資する際に、「気になった企業はひとまず少し買い付ける」という文章をどこかで読んだ記憶があります。この1年はわたしも同じやり方をとってしまい、リンチさんには申し訳ありませんが、あまり誉められたものではないと自省気味に感じています。

今回は、昨年や今年に少額を投資したものの、早々にひきあげた銘柄を振り返ります。基本的には、昨年の投稿で注目銘柄としてあげた企業が対象となります。

6140 旭ダイヤモンド工業
6157 日進工具
3891 ニッポン高度紙工業
6988 日東電工
5201 旭硝子
5333 日本ガイシ
2178 トライステージ

上記のうち、最終的に本格的に投資した銘柄は1社のみとなりました。各銘柄について、以下に売却した理由等を若干記します。

■旭ダイヤモンド工業(6140)
当社は、機械加工で使用する工具のうち、主にダイヤモンドを刃材とするものを製造しています。ニッチで利益率がまずまずだったのですが、近年になってシリコンウエハー切断用のワイヤー「エコメップ」が大ヒットし、利益水準を押し上げました。また財務や配当方針の面でも、株主のほうを向いているように見受けられます。このように、自分の投資方針と合致している会社なのですが、どこか腑に落ちない点が残り、投資をひきあげました。購入は1000円強、売却は1077円で若干の売却益ですが、時期がたまたまよかったようです。その後、昨年来の太陽電池の需給バランスが悪化したことで主力のエコメップの販売が伸び悩み、それに同調して株価も低迷気味で、現在は780円前後です。

何がひっかかっているのか自分でもよくわからないのですが、きちんと納得できないときは、じっとするか手を引くことを旨としています。

■日進工具(6157)
当社は今年の主要投資先となったので、別の回でとりあげます。

■ニッポン高度紙工業(3891)
当社は、主にコンデンサ用セパレータを製造しており、製造技術や素材に特徴があることで、それなりの利益率を確保してきました。地方に本拠地をかまえていることもあり、個人的には応援したい企業なのですが、投資はやめとしました。購入は1400円前後、売却は1250円前後で損失を出しました。現在の株価は650円前後です。

投資をやめた主な理由は2つです。まずは製造拠点の立地についてです。株式投資を始めたころから、リスク管理の中心テーマとして巨大地震のリスク回避を念頭においてきました。今回は東日本でしたが、東海地方を最大のリスクと捉え、同地域周辺を中心拠点とする企業への投資は避けてきました。当社の主要拠点は高知県ということで、当初は確認していませんでしたが、拠点の地図をみると海岸沿いに立地しており、津波の直撃を受ける恐れがありました。なお、このリスクは当社の有価証券報告書に明記されており、新工場を日本海側に建設する大きな理由にも挙げられています。

第2の理由は、設備投資費用が重いことです。この影響のせいか、財務諸表をさかのぼって読むと、株主資本がそれほど増加していない点が気にかかりました。

■日東電工(6988)
投資家に人気のある企業なので、他言は無用かと思います。和製3Mという言葉がぴったりで、経営がうまくまわり、勢いの良さが感じられます。しかし昨年に2900円前後で購入するも、早々に3200円前後で売却しました。現在は4000円前後です。売却した理由として、利益が液晶関連の事業に偏重していることを考えましたが、当社の実績を鑑みれば、もう少し長い目で見て、売らずに保有すべきだったと感じています。株価がまた下がることがあれば、継続保有したいと考えています。

ただし、このような優良企業は全部は売らず、最後の一口(1単元)だけは残すようにしています。

■旭硝子(5201)
当社は液晶ディスプレイ用ガラスで世界シェア第2位につけており、寡占的な事業のため、利益率が高水準です。購入したのは1単元のみで600円、売却は570円なので売却損です。現在は640円です。

売却した理由は2つです。第一に、競合他社のコーニングを調べると、そちらのほうが有望かつ割安に思えたからです。ただし、同社の株式を買うには至っていません。第二は、利益水準と比して自動車関連の事業に関する設備投資が重いことです。これには中長期的な成長戦略が織り込まれているのかもしれませんが、うまく判断できませんでした。きちんと納得できなかったので、利益が出ていたとしてもいずれは売却したと思います。

■日本ガイシ(5333)
当社には投資していません。

■トライステージ(2170)
以前の投稿で触れたので、ここではとりあげません。

これ以外の「一口投資」としては、マニーに投資しました。数単元購入しましたが(2600円強)、日東電工と同じように、株価が若干上がったところで売却し、今は1単元だけの保有です。現在は3200円強です。売却した理由は、そもそもの自分の買値にもうひとつ納得できなかったからです。買値に自信が持てない最大の要因は、当社の顧客動向をきちんと理解していないことです。そのため、顧客との力関係や市場の成長性を、自信をもって判断できていません。当社に対しては、株価が大きく下がらないと本気になって勉強しない、という悪い面がでています。

2012年10月4日木曜日

何が売られているかを知らないモスクワ市民

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『群れはなぜ同じ方向を目指すのか?』からのご紹介、今回で最後です。前々回前回をつなげるような話題です。

私たち人間が使い古された道を選ぶのは、主に道に迷うのを避けるためだ。だがアリなどの集団で移動する動物には、もっと重大な目的がある--最善の餌のありかを見つけ、最善の隠れ処を獲得し、何よりも探索中に食べられてしまうのを避けることだ。

こうした動物たちは、事情に通じた近隣の仲間の行動を模倣することによって、目的を達成する可能性を高めることができる。しかし、どの仲間が事情に通じているかをどうやって知るのだろう。現実的な手がかりは、他に真似をしている仲間がどれくらいいるかというところに見つかる。

1980年代、共産主義体制がうまく機能しなくなり生活必需品が慢性的に供給不足になっていた頃、モスクワ市民が利用した手がかりもそれだった。当時のモスクワを歩いていたとしよう。店の外に立っているのが1人か2人なら黙って通り過ぎるかもしれない。だがそれが3人4人となると、その店に売るものがあることの合図となり、他の人も急いで列に加わろうとするので、カスケード効果で行列があっという間に長くなる。何が売られているかを知っている人はほとんどいないというのに!

このカスケード効果は、動物行動学者がクォーラム反応[定足数反応]と呼んでいるものだ。クォーラム反応とは、簡単に言うと、各個体がある選択肢を選ぶ可能性が、すでにその選択肢を選んでいる近隣の個体の数とともに急速に(非線形的に)高まることで、集団はそれを通じて合意に達する(人間の脳神経細胞も、周囲の神経細胞の活動に対して同様の反応を示している)。(p.122)


余談ですが、本書の原題は"The Perfect Swarm"です。シャレが効いていて、楽しいですね。