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2015年5月12日火曜日

CEOに必要な資質とは(『破天荒な経営者たち』)

4 件のコメント:
数回前の投稿でご紹介した著書『破天荒な経営者たち』からもう1点ご紹介します。今回引用するのは、ラルストン・ピュリーナ社のCEOだったビル・スティーリッツ氏の話題です。なおペットフード会社の同社は、2001年にネスレに買収されました。

買収に関しては節約志向で、大型入札で株価がつり上がるよりも機を見て市場で買うことを好んだ。そして、常にPER(株価収益率)が周期的な安値を付けたときに買収を行った。(中略)

スティーリッツは、自社株買いのリターンがほかの資本投資、特に買収を判断するときの基準になると考えていた。長年彼の補佐役を務めたパット・モケイヒーによれば、「投資判断には、常に自社株買いのリターンというハードルが使われました。もし、買収によってある程度の精度でこのリターンを上回ることができそうならば、それは実行する価値があると判断されました」。(中略)

スティーリッツは、控えめに見ても魅力的なリターンを生みそうな会社のみを買うべきだと考えていた。彼は、詳細な金融モデルなど当てにせず、いくつかの重要な変数――市場成長率、競争、業務改善が可能か、そしてもちろん現金を生み出すカ――のみを考慮して判断を下していた。彼によれば「私はいくつかの重要な想定のみに注目して判断を下していました。まず調べるのは、市場の潜在的なトレンドの成長率と競争状況です」。(p.216)

スティーリッツは独立心が強く、外部からの助言はまったく受け入れなかった。彼は、CEOの資質としてカリスマ性は過大評価されていると考えていた。必要なのは分析力と独立的思考で、「それがなければ、CEOは銀行とCFO(最高財務責任者)の言うなりです」。彼は、多くのCEOがこのような分析力が必要ない部門(法務、マーケティング、製造、販売など)の出身だということを理解していた。しかしそのうえで、この能力がなければCEOとしては非常に不利だと考えていた。彼の信条は単純で、「リーダーシップとは分析力です」。(p.220)

2015年5月6日水曜日

バリュー投資家の方へおすすめの一冊『破天荒な経営者たち』

4 件のコメント:
チャーリー・マンガーの推薦書"The Outsiders"(過去記事)の翻訳書が出ていたことを指摘してくれたのは、いつもコメントをつけてくださるブロンコさんでした(過去記事のコメント欄)。邦題は『破天荒な経営者たち』、発行元はパンローリング社です。別の翻訳書『千年投資の公理』を取りあげたときに同社のことを「わざと売れないように題名をつける会社」と書きましたが(過去記事)、本書もその路線に足を踏み入れていると思います。邦題だけでなく、装丁(表紙のデザイン)のほうも購買意欲を削いでいるようにみえるからです。前置きが長くなりましたが、結論は題名に記したとおりです。バリュー投資家のみなさんには、一読されることを強くお勧めする一冊です。資金を投じる価値がある企業の経営者とはどのような人たちなのか、その実例を示しているからです。

今回引用するのは同書で紹介されている経営者のひとり、ケーブルテレビ業界のTCI社でCEOを務めていたジョン・マローン氏の話題です(現在はリバティメディア社などの会長)。

この時期、マローンは新しい財務と業務の規律を導入し、各部門の責任者に、利益率を維持しながら毎年加入者を10%増やすことができれば、彼らの独立性を尊重すると約束した。TCIの質素で起業家的な文化は、この時期に本部から現場へと広がっていった。

TCIの本部や、アメリカのメディア勢力図を書き換える業界の最大手の本部にはとても見えなかった。事務所は質実剛健で、少ない幹部とそれ以上に少ない秘書がビニール張りの床に置いた剥げた金属製のデスクで働いていた。受け付けは一人しかおらず、あとは自動音声の留守番電話で対応していた。TCIの幹部がそろって出張に出ても宿泊はたいていモーテル(車庫付きの簡易宿泊所)で、COO(最高執行責任者)のJ.C.スパークマンによれば「当時はホリデイ・インに泊まるのがたまの贅沢でした」。(中略)

各部門の責任者は、目標を達成していればかなりの自治権を与えられていた。反対に、月間目標が達成できなかった部門の責任者は、社内を飛び回っているCOOの訪問をたびたび受け、パフォーマンスが劣っていればすぐに差し替えられた。(p.143)

資本を配分するには高リターンの選択肢がたくさんあり、マローンはそれを最適に組み合わせてTCIの資産を構築していった。彼の経歴からも分かるように、マローンは冷静で合理的でまるで外科医のように正確に資本を配分していったのである。彼は、魅力的なリターンであれば、どれほど複雑で型破りな投資でも検討し、工学的な思考で、リターンが優れた計画だけを実行した。面白いことに、彼はスプレッドシートは使わず、リターンが簡単に計算できる計画を好んだ。「コンピューターには細かいデータがたくさん必要ですが……私はプログラマーではなく数学者です。正しくあるべきですが、厳密でなくともよいのです」と語ったこともある。(p.162)

しかし、彼は安値でしか買わず、TCIの買収計画の基礎となる単純なルール――番組制作費の割引と人員削減が終わった時点で見込めるキャッシュフローの5倍までしか支払わない――を持っていた。この分析は、たった1枚の紙があれば計算できた(紙ナプキンの裏で計算することもあった)。高度な予想モデルなどは必要ないのである。

重要なのは予想の精度と期待した相乗効果を生み出せるかどうかであり、マローンとスパークマンの事業チームは新たに買収した会社の不要コストを削減するための高度な訓練を受けていた。(p.165)

TCIの事業は驚くほど分権化されており、スパークマンが引退した1995年でも1200万人の加入者を擁するこの会社の本部には17人の社員しかいなかった。マローンのいつもの率直な言いかたによれば、「スタッフの数が多ければよいというものではありません。ほとんどの人間は、あとからとやかく言うだけの連中です」。(p.169)

2015年5月2日土曜日

レーズンもどきも積もれば山となる(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの講演「2003年に露呈した巨大金融不祥事について」の6回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

新任経営者らは単純に、ボーナスの支給を従業員向けストック・オプション行使益へと毎年少しずつ何年にもわたって移行するのは慎重なやりかただと考えていました。彼らはひそかに、自分たちが採用したこの慎重な計画を「都度やんわり方式」と呼びました。そして次の4つの明白な利点があると信じ込んでいました。

第一に、単年度に上乗せする「まやかし」の利益をごくわずかにとどめることで、大盛りにするより気づかれにくい点です。

第二に、まやかしの利益を毎年わずかずつ上乗せしても長期的にみると大きく積みあがりますが、「都度やんわり方式」によってそれがあいまいになりやすい点です。同社のCFOは内々で次のように言い表していました。「もし私たちがレーズン(干しぶどう)の中へ糞ころを毎年少しずつ混ぜたとしても、それが最終的にすごい量の糞便になるとはおそらくだれも気づかないでしょう」

第三に、社外の会計監査人が何年かにわたって、少しだけまやかしの利益が加わった会計報告を監査承認したとします。しかしいったんそうなれば、その後も同じ割合でまやかしの利益増が含まれている決算書類が出てきても、それを承認しないのはもどかしくて我慢ならないと思われる点です。

そして4番目が、クァント・テック社の経営陣にとって「都度やんわり方式」は軽蔑されにくい、あるいはより深刻な危害につながりにくいと考えられる点です。クァント・テックを除く事実上すべての企業がずっとリベラルなストック・オプション制度を採用していたので、「従業員を惹きつけて維持するには、報酬のうちのわずかな部分をオプション行使の形態へと移行することが不可欠だ」と経営陣はいつでも説明できました。実際のところ、その奇天烈なストック・オプション会計が実施された結果として企業文化が形成されたり株式市場における熱狂が存在している節もあるので、この主張はたぶんに真実であろうと考えたわけです。

それら4つの利点を考慮すると、「都度やんわり方式」は望ましく思えること必然でした。そしてクァント・テック社の経営陣にあとひとつ残されていたのが、まやかしの利益をどれだけの規模で毎年上乗せするかを決めることでした。しかし経営陣らはまずはじめに、満足させたいと考える状態を3つ定めることにしたので、その決定も容易な仕事となったのです。

Plainly, the new officers saw, it would be prudent to shift bonus payments to employee stock option exercise profits in only a moderate amount per year over many years ahead. They privately called the prudent plan they adopted their "dollop by dollop system," which they believed had four obvious advantages:

First, a moderate dollop of phony earnings in any single year would be less likely to be noticed than a large dollop.

Second, the large long-term effect from accumulating many moderate dollops of phony earnings over the years would also tend to be obscured in the "dollop by dollop system." As the CFO pithily and privately said: "If we mix only a moderate minority share of turds with the raisins each year, probably no one will recognize what will ultimately become a very large collection of turds."

Third, the outside accountants, once they had blessed a few financial statements containing earnings increases, only a minority share of which were phony, would probably find it unendurably embarrassing not to bless new financial statements containing only the same phony proportion of reported earnings increase.

Fourth, the "dollop by dollop system" would tend to prevent disgrace, or something more seriously harmful, for Quant Tech's officers. With virtually all corporations except Quant Tech having ever-more-liberal stock option plans, the officers could always explain that a moderate dollop of shift toward compensation in option-exercise form was needed to help attract or retain employees. Indeed, given corporate culture and stock market enthusiasm likely to exist as a consequence of the strange accounting convention for stock options, this claim would often be true.

With these four advantages, the "dollop by dollop system" seemed so clearly desirable that it only remained for Quant Tech's officers to decide how big to make their annual dollops of phony earnings. This decision, too, turned out to be easy. The officers first decided upon three reasonable conditions they wanted satisfied:

2015年4月24日金曜日

報告利益を合法的に5倍にする方法(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの講演「2003年に露呈した巨大金融不祥事について」の5回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

かねてより金融面で抜け目のなかったクァント・テック社の新たな経営者らには、即座にわかったことがありました。驚くべき特異な会計慣行と所得税の法令に従えば、単純な行動をとるだけで同社の報告利益を増大できる、驚くほどに大きな機会があったことです。クァント・テック社の年間費用のうち、インセンティブ・ボーナスが大きな部分を占めていました。その事実が「現代的な金融工学」を発揮するまたとない機会をもたらしました。

彼らからすれば、クァント・テック社の従業員向けストック・オプションの行使益を、4億ドルになるインセンティブ・ボーナス費用全額と置き換えるなどは、容易にみてとれるものでした。付与するオプションの代金を支払った上で、浮いたボーナス用の現金を費やしてオプション行使時に発行される全株式を買い戻すのです。そしてその他一切は元の状態を保てば、つまり発行済み株式数は同じまま、1982年度のクァント・テック社の報告利益をなんと1億ドルから400%増の5億ドルまで増加させることが可能でした。そのため、従業員向けストック・オプション行使益をインセンティブ・ボーナスと置き換える作業に着手することは、新任経営者らからすれば当然正しい策略だと思えたのです。受け取るボーナスが現金であろうと、あるいは事実上完全に現金と同じものであろうと、数字の得意なエンジニア集団がその違いを気にすべき理由があるでしょうか。どのような計画が望ましいとしても、そのような変更をお膳立てする作業が困難なものだとは思えませんでした。

しかし、新たな策略を実行するには一定の注意と自制が望まれると認識するのも、これまた新任経営者らには容易なことでした。新たな企てを単年度内で進めすぎるのは、当然ながらクァント・テック社の会計士から抵抗されたり、別のところから望ましくない反対が起こることになりかねません。少なくとも彼ら新任経営者にとっては、金の卵を産んでくれる大変な能力を持つガチョウです。それを殺してしまう恐れがありました。つまるところ彼らのとるべき策略とは、報告利益を増加させるために真の利益に対して「まやかし」の利益の部分を加えるにとどめる、とするものでした。「まやかし」とは、策を講じて増加した部分の報告利益は、ありがたい本物の経済的成果としてクァント・テック社が享受できるものではない、という意味です(期末の在庫を過剰評価するのと同じように、詐欺的な効果が一時的にもたらされますが、それは含みません)。新任のCEOはこの魅力ある慎重なやりかたを、ひそかに「賢明にも抑制された偽り」と呼びました。

Quant Tech's new officers, financially shrewd as they were, could see at a glance that, given the amazingly peculiar accounting convention and the sound income tax rules in place, Quant Tech had a breathtakingly large opportunity to increase its reported profits by taking very simple action. The fact that so large a share of Quant Tech's annual expense was incentive bonus expense provided a "modern financial engineering" opportunity second to none.

For instance, it was mere child's play for the executives to realize that if in 1982 Quant Tech had substituted employee stock option exercise profits for all its incentive bonus expense of $400 million while using bonus money saved plus option prices paid to buy back all shares issued in option exercises and keeping all else the same, the result would have been to drive Quant Tech 1982 reported earnings up by 400 percent to $500 million from $100 million while shares outstanding remained exactly the same! And so it seemed that the obviously correct ploy for the officers was to start substituting employee stock option exercise profits for incentive bonuses. Why should a group of numerate engineers care whether their bonuses were in cash or virtually perfect equivalents of cash? Arranging such substitutions, on any schedule desired, seemed like no difficult chore.

However, it was also mere child's play for the new officers to realize that a certain amount of caution and restraint would be desirable in pushing their new ploy. Obviously, if they pushed their new ploy too hard in any single year, there might be rebellion from Quant Tech's accountants or undesirable hostility from other sources. This, in turn, would risk killing a goose with a vast ability to deliver golden eggs, at least to the officers. After all, it was quite clear that their ploy would be increasing reported earnings only by adding to real earnings an element of phony earnings - phony in the sense that Quant Tech would enjoy no true favorable economic effect (except temporary fraud-type effect similar to that from overcounting closing inventory) from that part of reported earnings increases attributable to use of the ploy. The new CEO privately called the desirable, cautious approach "wisely restrained falsehood".

2015年4月12日日曜日

会計士の決めた慣行を税務当局が認めない例(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの講演「2003年に露呈した巨大金融不祥事について」の4回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

クァント・テック社の経営者として新たに選任された者は早々に、会社をうまく経営しても現在以上の割合で売上高の伸び率を高めたり、利益率を増加させられないことに気づきました。そのどちらにおいても、創業者がすでに最適な状態へと到達させていたからです。さらに新任経営者らは、うまく機能しているエンジニアリング文化に対して、下手に手を出す気もありませんでした。それゆえに新任者が惹きつけられたのは、彼らが言うところの「現代的な金融工学」を活用することでした。報告利益を増大させるためには、合法的と思われる方法は何であろうとすべてを速やかに実行する必要がありました。そのためにはまず、単純ながらも大きな変更を実施することになりました。

なんとも奇妙な運命の皮肉によって、クァント・テックの創業者が嫌っていたストックオプションに関する会計慣行は、新たな経営者の仕事を非常に楽なものにしました。そして最終的にはクァント・テック社の評判を失墜させることになります。当時の米国では次のような会計慣行がありました。まず従業員がオプションを付与されて、次にその従業員に対して市場で容易に売却できる株式を市場価格未満で発行したとき、従業員に対して値引きした部分はほぼ現金と等しいながらも、会社の報告利益を決定する上で報酬費用に含めてはならない、とするものでした。会計士業界はこの驚くべき特異な会計慣行を、もっとも賢明かつ倫理的なメンバーらが反対したにもかかわらず、選択しました。概して企業の経営者とは、雇用元企業の株を対象にしたオプションを行使して得られる利益が、その企業の業績を決定する費用に含まれないことを好むもので、それゆえの反対意見だったのです。しかし会計士業界が驚嘆すべき特異な決定をくだしたのは、単に要請に従っただけのことでした。裕福で確固たる地位にある会計士とはまったく異なる人たちであれば、その手の要請に従うことはよくありました。ただし通常それは、不確実で権力を持たない、つまり「食い扶持を出してくれる者のために歌う」人たちでした。幸いなことに、所得税を管轄する当局は会計士業界とは違っていました。会計士のように驚愕特異な会計上の概念を抱くことはありませんでした。そこでは初歩的な常識が勝ったのです。ストック・オプション行使時に発生する割引分の金額は明白なる報酬費用として扱われ、税法上の所得を決定する際の控除対象とされました。

The newly installed Quant Tech officers quickly realized that the company could not wisely either drive its revenues up at an annual rate higher than the rate in place or increase Quant Tech profit margin. The founder had plainly achieved an optimum in each case. Nor did the new officers dare tinker with an engineering culture that was working so well. Therefore, the new officers were attracted to employing what they called "modern financial engineering" which required prompt use of any and all arguably lawful methods for driving up reported earnings, with big, simple changes to be made first.

By a strange irony of fate, the accounting convention for stock options that had so displeased Quant Tech's founder now made the new officers' job very easy and would ultimately ruin Quant Tech's reputation. There was now an accounting convention in the United States that, provided employees were first given options, required that when easily marketable stock was issued to employees at a below-market price, the bargain element for the employees, although roughly equivalent to cash, could not count as compensation expense in determining a company's reported profits. This amazingly peculiar accounting convention had been selected by the accounting profession, over the objection of some of its wisest and most ethical members, because corporate managers, by and large, preferred that their gains from exercising options covering their employers' stock not be counted as expense in determining their employers' earnings. The accounting profession, in making its amazingly peculiar decision, had simply followed the injunction so often followed by persons quite different from prosperous, entrenched accountants. The injunction was that normally followed by insecure and powerless people: "Whose bread I eat, his song I sing." Fortunately, the income tax authorities did not have the same amazingly peculiar accounting idea as the accounting profession. Elementary common sense prevailed, and the bargain element in stock option exercises was treated as an obvious compensation expense, deductible in determining income for tax purposes.

2015年4月8日水曜日

1982年、バリュー投資家の出番が来た年(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの講演「2003年に露呈した巨大金融不祥事について」の3回目です。話が動き出してきました。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

クァント・テック社は強力な財務基盤と生産的な社風を備え、急速に変化成長するビジネスにおいて臨界量に達した専門能力を有していました。御大のやりかたに従った同社は1982年までに、その後20年間において売上高成長率が年率20%、売上高利益率が10%を維持できる水準に達していました。20年間が経過した後の2003年以降には、利益率10%は非常に長い間維持できるでしょうが、売上高の伸び率は年率4%へと縮小すると思われます。しかし低成長が不可避となる時期がいつから始まるものか、同社のだれにも正確にはわかりませんでした。

クァント・テックの大将がとっていた配当政策は単純そのものでした。配当金を一切払わなかったのです。そうするかわりに、すべての利益を現金等価物として単に積み上げていきました。

普通株の領域で本当に熟達した投資家であればだれでも、現金豊富なクァント・テック社は1982年の投資先としてめざましい機会をもたらすとわかったでしょう。その輝かしい将来にもかかわらず、市場が付けていた値段は純利益の15倍にすぎない15億ドルだったからです。麗しき将来性とくらべて時価総額が低かったのは、1982年には他のすばらしい普通株も15倍かそれ以下で売られていたせいでした。金利が高かったことの当然の成り行きとして、そのような情勢が広まっていたのです。そして普通株に分散投資した典型的なポートフォリオを有する者は、それ以前に何年も享受していたような成果を得られずに失望した時期でした。

1982年にクァント・テック社の時価総額が低かったことで、同社の取締役は御大が亡くなって早々に不満や不愉快な想いを抱くようになりました。賢明なる取締役であれば、そのようなときにはクァント・テック社の株を大々的に買うものです。手元の資金を使い果たし、さらには同じことのために資金を借りたでしょう。しかし1982年当時の伝統的な企業の知恵からすると、そのような決定は許されませんでした。そこで取締役会は伝統的な道を選びました。新たなCEOとCFOを社外から雇ったのです。それも、当時すでに従業員向けのストック・オプション制度を採用しており、報告利益の20倍に達する時価総額が付いていた会社からです。ところが、その会社の財務基盤はクァント・テック社より貧弱で、純利益の成長率もクァント・テックよりゆるやかでした。これが示すことは明白です。その新経営陣を雇った理由は、クァント・テック社の取締役諸氏が「会社の時価総額を可能な限りすみやかに高めたい」と望んでいたからでした。

Possessing a strong balance sheet and a productive culture and also holding a critical mass of expertise in a rapidly changing and rapidly growing business, Quant Tech, using the old man's methods, by 1982 was destined for twenty years ahead to maintain profits at ten percent of revenues while revenues increased at twenty percent per year. After this twenty years, commencing in 2003, Quant Tech's profit margin would hold for a very long time at ten percent while revenue growth would slow down to four percnt per year. But no one at Quant Tech knew precisely when its inevitable period of slow revenue growth would begin.

The old man's dividend policy for Quant Tech was simplicity itself: He never paid a dividend. Instead, all earnings simply piled up in cash equivalents.

Every truly sophisticated investor in common stocks could see that the stock of cash-rich Quant Tech provided a splendid investment opportunity in 1982 when it sold at a mere fifteen times earnings and, despite its brilliant prospects, had a market capitalization of only $1.5 billion. This low market capitalization, despite brilliant prospects, existed in 1982 because other wonderful common stocks were also then selling at fifteen times earnings, or less, as a natural consequence of high interest rates then prevailing plus disappointing investment returns that had occurred over many previous years for holders of typical diversified portfolios of common stocks.

One result of Quant Tech's low market capitalization in 1982 was that it made Quant Tech's directors uneasy and dissatisfied right after the old man's death. A wiser board would then have bought in Quant Tech's stock very aggressively, using up all cash on hand and also borrowing funds to use in the same way. However, such a decision was not in accord with conventional corporate wisdom in 1982. And so the directors made a conventional decision. They recruited a new CEO and CFO from outside Quant Tech, in particular from a company that then had a conventional stock option plan for employees and also possessed a market capitalization at twenty times reported earnings, even though its balance sheet was weaker than Quant Tech's and its earnings were growing more slowly than earnings at Quant Tech. Incident to the recruitment of the new executives, it was made plain that Quant Tech's directors wanted a higher market capitalization, as soon as feasible.

2015年4月4日土曜日

それなりのエンジニアであれば期待されること(チャーリー・マンガー)

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少し間隔がひらきましたが、チャーリー・マンガーの講演「2003年に露呈した巨大金融不祥事について」の2回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

1982年には、クァント・テック社は業界シェアの大半を獲得していました。同社の売上高は10億ドル、純利益は1億ドルでした。売上原価は、設計作業に携わる技術系従業員への報酬によって事実上占められていました。売上高のうちの70%が従業員へ直接給付される報酬で、そのうち30%が基本給、40%がインセンティブ・ボーナス[業績連動賞与]でした。それらの支払いは、創業者が設計した緻密な体系によるものでした。報酬の全額が現金で支払われ、ストック・オプションはありませんでした。ご老体からすれば、ストック・オプションに要求される会計上の取り扱いは、「薄弱で堕落しており、尊敬に値しない」ものだったからです。彼は低品質のエンジニアリング以上に、質の低い会計処理を望んでいませんでした。ご老人はさらに、自分の作ったインセンティブ・ボーナスの割合が大きな仕組みは、各人や小集団の業績基準を正確に示すようにあつらえてある、と確信していました。他社のストック・オプション制度では、高低両面において望ましくない報酬が支払われる結果を招く、と彼は信じていたのです。

しかしながらご老人の仕組みにおいてでさえも、クァント・テックに昔から仕えてきた従業員はすでに裕福となっていたか、間違いなくそうなる人ばかりでした。それというのも従業員は、そうでない一般の株主と同じようにクァント・テックの株を市場で買っていたからです。発電所を設計できるほどに十分頭がよく、自発的に規律をきちんと守れる人であれば、そのような方法で自身の財政的問題に対応できておかしくない、とご老人はいつもそう考えていました。時折彼はあえて家父長的な姿勢をみせて、クァント・テックの株を買うように従業員へうながしたものでした。

創業者が1982年に亡くなるまでのクァント・テックは、無借金でした。どれだけ急激に売上げが伸びようとも、事業を継続する上で株主資本は一切不要でした。評判を高める目的しかありませんでした。しかしご老体はベン・フランクリンの言葉「からっぽの袋は立たせにくい」を信奉しており、クァント・テックにもきちんと立っていてほしいと望んでいました[参考記事]。その上、彼は事業と職場仲間に惚れこんでいたので、予期せぬ困難や機会が来た時になるべくうまく解決したり好機を最大に生かせるよう、多額の現金等価物を常に持っておきたいと考えていました。そのおかげで、1982年にクァント・テックが有していた現金等価物は5億ドルとなり、売上高の50%に達していたのです。

By 1982, Quant Tech had a dominant market share in its business and was earning $100 million on revenues of $1 billion. Its costs were virtually all costs to compensate technical employees engaged in design work. Direct employee compensation cost amounted to seventy percent of revenues. Of this seventy percent, thirty percent was base salaries and forty percent was incentive bonuses being paid out under an elaborate system designed by the founder. All compensation was paid in cash. There were no stock options because the old man had considered the accounting treatment required for stock options to be "weak, corrupt, and contemptible," and he no more wanted bad accounting in his business than he wanted bad engineering. Moreover, the old man believed in tailoring his huge incentive bonuses to precise performance standards established for individuals or small groups, instead of allowing what he considered undesirable compensation outcomes, both high and low, such as he believed occurred under other companies' stock option plans.

Yet, even under the old man's system, most of Quant Tech's devoted longtime employees were becoming rich, or sure to get rich. This was happening because the employees were buying Quant Tech stock in the market, just like non-employee shareholders. The old man had always figured that people smart enough, and self-disciplined enough, to design power plants could reasonably be expected to take care of their own financial affairs in this way. He would sometimes advise an employee to buy Quant Tech stock, but more paternalistic than that he would not become.

By the time the founder died in 1982, Quant Tech was debt free and, except as a reputation-enhancer, really didn't need any shareholders' equity to run its business, no matter how fast revenues grew. However, the old man believed with Ben Franklin that "it is hard for an empty sack to stand upright," and he wanted Quant Tech to stand upright. Moreover, he loved his business and his coworkers and always wanted to have on hand large amounts of cash equivalents so as to be able to maximize work-out or work-up chances if an unexpected adversity or opportunity came along. And so, in 1982, Quant Tech had on hand $500 million in cash equivalents, amounting to fifty percent of revenues.

2015年2月20日金曜日

2003年に露呈した巨大金融不祥事について(チャーリー・マンガー)

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今回から始まるこのシリーズでは、『Poor Charlie's Almanack』に収録されている講演その8(Talk Eight)を全訳でご紹介します。いつもとは少し違う雰囲気の話です。(日本語は拙訳)

講演その8

2003年に露呈した巨大金融不祥事について
2000年夏、チャーリー・マンガーによる報告

2003年に大規模な金融不祥事が発覚し、クァント・テクニカル社の評判は突如として失墜しました。「クァント・テック」と呼ばれていた同社は、伝説的な創業者でエンジニアだったアルバート・バーザグ・クァント氏に導かれたことで、この国で最大の純然たるエンジニアリング会社に成長していました。

2003年以降、クァント・テックの顛末はある種の道徳劇としてとらえられるようになりました。この演劇は2幕に分かれています。第1幕は創業者だったエンジニアが活躍した時期で、良き価値が備わった黄金時代としてみられています。第2幕は創業者の直後の代で、誤った価値観を身につけた同社がソドムとゴモラの終末期のようになった、とみなされた時代です。

この報告で明らかにするように、クァント・テックの創業者が1982年に亡くなった後、同社が一夜にして善から悪へと変化したわけではありません。会社の優れたところは1982年以降も継続しました。一方では1982年以前から何年にもわたって、金融面での同社の文化には深刻な悪が存在していました。クァント・テックはそのような状況下で企業活動を遂行せざるを得なかったのです。

クァント・テックの逸話は、ある種の古典的な悲劇としてよく知られています。無慈悲な運命によって、ある過ちが容赦なく罰せられたからです。その過ちとは、この国の従業員向けストックオプションに関する驚くべき特異な会計処理でした。同社はその犠牲者となり、そしてこの国も同じでした。この種のことは過去にも起きていたのですから、ソポクレスは巨大金融不祥事の歴史を書いていたかもしれません。

1982年にアルバート・バーザグ・クァント氏がこの世を去ったとき、すばらしくも繁盛した貢献度の大きな企業を後継者や創造主に残しました。クァント・テックの唯一の事業は世界中の顧客に対して小型発電所を設計し、対価をもらう仕事でした。彼らの設計する革新的な発電所は超衛生的・超高効率で、発電効率が向上したものでした。

Talk Eight

The Great Financial Scandal of 2003
An Account by Charles T. Munger, Summer 2000

The great financial scandal erupted in 2003 with the sudden, deserved disgrace of Quant Technical Corporation, always called "Quant Tech". By this time, Quant Tech was the country's largest pure engineering firm, having become so as a consequence of the contributions of its legendary founder, engineer Albert Berzog Quant.

After 2003, people came to see the Quant Tech story as a sort of morality play, divided into two acts. Act One, the era of the great founding engineer, was seen as a golden age of sound values. Act Two, the era of the founder's immediate successors, was seen as the age of false values with Quant Tech becoming, in the end, a sort of latter-day Sodom or Gomorrah.

In fact, as this account will make clear, the change from good to evil did not occur all at once when Quant Tech's founder died in 1982. Much good continued after 1982, and serious evil had existed for many years prior to 1982 in the financial culture in which Quant Tech had to operate.

The Quant Tech story is best understood as a classic sort of tragedy in which a single flaw is inexorably punished by remorseless Fate. The flaw was the country's amazingly peculiar accounting treatment for employee stock options. The victims were Quant Tech and its country. The history of the Great Financial Scandal, as it actually happened, could have been written by Sophocles.

As his life ended in 1982, Albert Berzog Quant delivered to his successors and his Maker a wonderfully prosperous and useful company. The sole business of Quant Tech was designing, for fees, all over the world, a novel type of superclean and superefficient small power plant that improved electricity generation.

2014年10月10日金曜日

チャーリー・マンガーの炉辺談話(4)経営面におけるバークシャーの強み

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米ウォール・ストリート・ジャーナルのブログで、ジェイソン・ツヴァイク氏がチャーリー・マンガーにインタビューした記事のつづきです。バークシャーの強みに関する話題です。(日本語は拙訳)

<質問> バークシャー・ハサウェイはどのように革新的だったのか。

<マンガー> バークシャーを経営する上で、新しい考えはひとつも入っていませんよ。[マンガーの友人]ピーター・カウフマンが言うところの、「見逃している単純なものを活用する」だけです。我々[バフェット及びマンガーの両氏、同社の株主、買収した企業]はお互いを選び合ってきました。「類は友を呼ぶ」集いなので、ほとんどのことは楽に決まりました。私やウォーレンは超人ではないですよ。目隠しでチェスは指せないですし、コンサートに出られるピアニストにもなれません。しかし得られた結果は並外れたものでした。なぜならばIQの不足分を補う以上に、気質の面で強みがあるからです。

手遅れとなった悪いニュースにまったく直面しない人などいません。しかしバークシャーでは実に少ない数にとどまっています。「報告するのは悪い知らせにしてください。良い知らせはあとでも困りませんから」とは、ウォーレンが好んで使う言葉です。その件でみんなが我々を信頼してくれることは、あやまちが昂進して災厄へと達するのを防ぐ理由のひとつになっています。四半期ごとの決算ではなく、管理するのは長期だけにしておけば、次の四半期の決算がどうなるかなどは気にもなりませんよ。

On how innovative Berkshire Hathaway has been:

There isn't one novel thought in all of how Berkshire is run. It's all about what [Mr. Munger's friend] Peter [Kaufman] calls ‘exploiting unrecognized simplicities.' We [Messrs. Buffett and Munger, their shareholders and the companies they have acquired] have selected one another. It's a community of like-minded people, and that makes most decisions into no-brainers. Warren and I aren't prodigies. We can't play chess blindfolded or be concert pianists. But the results are prodigious, because we have a temperamental advantage that more than compensates for a lack of IQ points.

Nobody has a zero incidence of bad news coming to them too late, but that's really low at Berkshire. Warren likes to say, ‘Just tell us the bad news, the good news can wait.' So people trust us in that, and that helps prevent mistakes from escalating into disasters. When you're not managing for quarterly earnings and you're managing only for the long pull, you don't give a damn what the next quarter's earnings look like.

2014年9月18日木曜日

日本の製造業とサンリオの共通点(鳩山玲人常務)

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DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー2014/10月号の内容は「特集:2020年のマーケティング」ということで、サンリオ鳩山常務の小論文が掲載されていました。同社で成功した基本戦略が簡潔にまとめられています。結びの文章を一部引用します。

ブランドやキャラクターといった無形資産は、数値で管理したり、論理的に価値を説明したりすることが難しい。そのため、とかくデザイナーやクリエイターのセンスに依存しがちであった。いいものさえつくれば売れるという思考の下、偶然性に左右されるビジネスを行っていた。どうしてもコンテンツの側面ばかりからビジネスを考えてしまうのだ。

この構図は、技術開発ばかりに熱を上げ、市場の動向を読み違えた、日本の製造業の苦境と同じである。しかし、感覚的なものを感覚的に扱うことから、再現性あるビジネスは生まれない。感性で訴えるものだからこそ、論理の鎧で武装する必要がある。培った経験や感性を、どれだけ仕組みとして根づかせていけるか。そのためには、アカデミックな理論に学ぶ姿勢が必要である。

ビジネスの世界が理論通りいかないのは当然だが、理論は、複雑なビジネス環境で戦略を構築する土台となる。頑強な土台を前提にすることで、複雑な環境でも柔軟に思考する軸となるのだ。(p.89)


サンリオの話題は、過去記事で一度取りあげています。そのときに買った株は継続保有中です。

2014年8月26日火曜日

履歴書や採用について(ウォーレン・バフェット)

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ウォーレン・バフェットが1994年にネブラスカ大学でおこなった講演その31です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問者> 履歴書は見たくないとのことでしたが、見事な履歴書をみつけるために利用している企業のことはどう思われますか。

<バフェット> もし典型的な大企業について話しているのでしたら、彼らはラベルを見たいのだと思います。言いかえれば、MBAを持っている人には「MBAのラベル」が付いていることになります。ある学校で授与されたとすれば、もちろんそのこともラベルになります。このやりかたを使って、似た人物を採用する事例が驚くほどたくさんあります。そのラベルに経済的な価値があるのは間違いありません。厳密にいくらなのかわたしにはわかりませんが、かなりの経済的価値です。わたしたちの会社ではそうはなりませんが、IBMやGMやメリルリンチに雇われるのであれば、最初にどう受けとめられるかという意味では違いが出ると思います。5年も経てばそれほど違わないとわたしは思いますが、最初の給料には差がつくでしょう。すごくたくさんのポジションを提示される可能性、という点でも差がつきます。しかし本当の勝負は、そこから何をみせられるかです。いずれにせよ、大きな会社に採用されたいときには、とても役に立つラベルですね。

わたしたちの会社が大企業だと考えたことは全然ありません。中堅企業の集合体と考えています。ある大きめの子会社を経営している仲間がいますが、MBAは1人で十分すぎるようでした。しかも、彼のグループ全体のために雇ったのです。わたし自身はだれも雇いません。ただし、どこかの子会社のトップが亡くなったり引退する場合は別です。採用について判断するのは、3年間に1回ぐらいだと思います。[子会社には]常に採用の判断をくだしている人もいますが、彼らが定める条件にはわたしは関与しません。完全に彼らの責務だからです。業務上の責務をどのように定め、採用の仕方をどのように教えるかといったことは、わたしはみていません。バークシャーには人事に関する部署がないのです。その役割の人がいる子会社もありますが、それと同じように全体を指揮する人はわたしたち本社にはいません。ほとんどの企業では人事の部署がありますが、そうなると帝国を建設しはじめることになります。あらゆる会合やセミナーをやり出して、そのためにアシスタントを雇い、あれこれがつづくわけです。だからわたしたちは最初からそうしないわけですね。さて、質問はあと2つでお願いします。

Q. You say that you don't like to look at resumes. What do you think businesses that do use them find impressive about resumes?

A. Well, I would say that, if you are talking about the typical large business, they look at labels. In other words, if you get an MBA, you have the label MBA. If you get it from a certain place, you know, it says that, too. There is an awful lot of hiring clone based on that. The label definitely has an economic value. I can't quantify that exactly, but it has a significant economic value. It just doesn't happen to have it with us. But if you are getting hired by IBM or General Motors or Merrill Lynch, it's going to make a difference in the way they look at you initially. I don't think it makes that much difference five years out. But I do think it makes a difference in starting salary. It makes a difference in your likelihood of getting hired for a great many positions. Then, it's really what you show from that point forward. But it is a very useful label in getting hired by a large company.

We don't even think of ourselves as a large company. We think of ourselves as a collection of medium-sized companies. Incidently, we've got a fellow that runs one of our larger subsidiaries; an MBA might mean quite a bit to him. And he's the one that hires for the group. I do no hiring, except if the top person in one of our companies dies or retires. I make maybe one hiring decision every three years. They also make hiring decisions all the time, and I don't get into what criteria they use. That's entirely up to them. I don't see how you can hold somebody responsible for an operation and then start telling them how to hire people. We have no human resources department at Berkshire. Some of our subsidiaries have somebody in that position, but we have nobody at the top who in turn supervises all that. Most companies do and once they do, they start building empires. They start going to all the conventions and seminars, and then they hire assistants to do this, and it just goes on and on. So we don't start it. Two more questions, okay?

2014年8月22日金曜日

2014年バークシャー株主総会; 企業買収について

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2014年5月に開催されたバークシャー・ハサウェイの年次株主総会から、買収に関する話題です。引用元トランスクリプトの場所はこれまで同様、こちらの過去記事です。(日本語は拙訳)

<質問47> 借入や買収についての質問

<マンガー> アメリカにおけるこれまでの買収は、合算して考えるとお粗末な結果でしたね。おろかな取引に口説かれてしまうのは、成功した企業が持つ本性です。我々にとっては富を築く道のりでした。しかし、我々のような変わったやりかたをしようと望むところは、幸運にもそれほどありませんね。

<バフェット> わたしたちが保有してはいるものの支配してはいない企業が、買収を起こそうとする。そんな記事を読んだときは、にやりとするよりも不満の声をあげるほうが多いですね。そうは言っても、わたしたち自身も買収を好んでいますが。わたしからは指揮できない会社の人たちが買収を検討する場に、何百回と参加したことがあります。しかし、ほとんどは悲惨なものでしたね..。

<マンガー> 良くて平凡、というのもいくらかはありましたがね。

<バフェット> ガイコ(GEICO)の例をみてください。1970年代以前はすばらしいビジネスでした。低迷から回復した後に彼らはいくつか買収をしたものの、肝心なことに集中していませんでした。2件の買収で払った会計上の費用はまずいものでしたが、致命的ではありませんでした。しかし[肝心なことに集中しなかった]2次的な影響は甚大で、元に戻るのに何年もかかりました。そのおかげでわたしたちは同社の半分を買い、バークシャーにとってはすばらしいものとなったのです。血気盛んなCEOが事を起こしたがり、補助するスタッフがそれに気づくのは、どちらも人間の本性です。案件はいつも舞い込みますし、投資銀行は毎日のように連絡をよこしてきます。そういったあらゆる力が取引実行へ向けて後押しをします。わたしたちは取引を望むのではなく、妥当な取引だけを望むようにと、非常な努力を払ってきました。もし経営企画のような部署があれば、わたしたちを後押しするわけですから、ますます大変だったと思います。経営する組織をどのように構成するかが、とても重要になることがあるのです。

<マンガー> 私とくらべて、彼がどれだけ手際よくやっているものか、よく考えてください。

<バフェット> それはむずかしくない比較ですね(笑)。

Q47: JB: Leverage and acquisitions?

CM: Sum total of all acquisitions in America has been lousy. It is the nature of successful companies that they will be talked into dumb deals. It has been path to wealth for us, but luckily many don't want to be peculiar in our way.

WB: When we read that a company we own but don't control is going to make an acquisition, I'm more likely to cry than smile. But we love them ourselves. I have sat in on hundreds of acquisition discussions conducted by people I didn't control. Most have been disasters…

CM: Some are mediocre.

WB: Look at GEICO ‐ it had been an incredible business until the 1970s. They made acquisitions after getting back on track and then took their eyes off the ball. Accounting cost of those two acquisitions was poor but not disastrous. But secondary effects were huge. It was a dozen years there that they couldn't get back. We bought half the company, so it was wonderful for Berkshire. It is human nature, CEOs have animal spirits and supporting staff senses that they like to do things. They keep coming in with deals. Investment bankers are calling them daily. All these forces push towards deals. We've tried very hard to not be eager to do deals, just to be eager to do deals that make sense. That would be harder if we had strategy departments pushing us. The setting in which you operate can be very important.

CM: Note how he is much more tactful than me.

WB: The comparison is not difficult. [laughter]

個人的には、この話題も重要な教えだと感じています。買収の話題と関連して、過去記事「自社株買いの利点」で取りあげたマイケル・モーブッサンの文章では、資本を効率的に利用するという意味で、買収と自社株買いを比較しています。勉強になる文章です。

2014年6月10日火曜日

フィドルを奏でて喜ぶ葬儀屋(チャーリー・マンガー)

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チャーリー・マンガーの(再考)世知入門、24回目です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問者> 株主訴訟などで裁判沙汰になる恐れや法務上の複雑さは、一般的に言って大企業が意思決定する際にどのような影響を与えるものでしょうか。

<マンガー> どの大企業でも法務にかかる費用には悲鳴をあげています。規制の多さや事業継続に関する煩雑さ、原告弁護団、特に集団訴訟の原告弁護団に悩まされています。つまり、ある企業があげる嘆き声を別の企業へとほとんど文言を変えることなくコピーできるような、絶対的なカテキズム[教理問答]が存在しているのです。

しかし悲鳴を生じさせる元は、法律事務所にとっていくぶん棚ぼたと言えるものでした。巨大事務所は長く続く上昇気流をつかんだのです。いまや彼らの振舞いは、疫病に際して葬儀屋が嘆き悲しむようなものです。当然のことですが、疫病の流行る中で葬儀屋がフィドル[ヴァイオリン]を奏でて飛び跳ねたりすれば、罰当たり者だと思われるでしょう。だから法律事務所のパートナーもこう言うわけです。「まったくもってこの煩雑さや訴訟ごと、不公平さと言ったら、悲しくないなどとは考えられませんね」。

しかし実際のところは、彼らはこの件で矛盾したところがあります。彼らには非常に喜ばしいことですからね。カリフォルニアで最近起きた住民投票では、興味ぶかい行為がみられました。被告弁護団の一部が人目を集めないように、いくつかの修正案に反対するロビー活動をしたのです。基本的には彼らのクライアントの意向に逆らうものだったので、その最中にクライアントから問い質されたくないと考えていました。実は原告側が訴訟を起こしにくくなっていたために、彼らはそのような行動をとったのです。

現在係争中のoverreaching[不動産の信託受益権に関する用語か?]があって、それゆえに子供たちを学校へ通わせていられるとします。一方で、別の人がそれを抹消するシステムを提案してきます。これはまさに大人として向かい合い、選択しなければならないことです。

大企業は適応しています。訴訟の数は増えており、法務の部署も拡大せざるを得ません。やりたくないことに対して悲鳴をあげているものの、彼らは適応しています。

<質問者> しかし過去何十年間をふりかえれば、企業の資源をここまで大量に費やすほど法務が複雑だったことはなかったと思いますが。

<マンガー> そのとおりです。20年前とくらべたときに、訴訟や数々の規制に関するコンプライアンスに当時よりも費用をかけていないアメリカ企業など、ほとんど存在しないでしょう。新たな規制には、おろかで馬鹿げたものもたしかにあります。しかし、まさしく必要なものもあります。満ち引きはあるにせよ、この潮流はこれからも変わらないと思います。

Q: Would you discuss how the threat of litigation - shareholder lawsuits and so forth - and legal complexity in general have affected decision-making in big business?

Well, every big business screams about its legal costs, screams about the amount of regulation, screams about the complexity of its life, screams about the plaintiffs' bar - particularly the class action plaintiffs' bar. So there's an absolute catechism on that where you could just copy the screams from one corporation to another and you'd hardly have to change a word.

But what causes the screams has, so far, been a godsend for the law firms. The big law firms have had a long updraft. And they now tend to kind of cluck like an undertaker in a plague. An undertaker, of course, would look very unseemly if he were jumping up and down and playing his fiddle during the plague. So law firm partners say, "Oh isn't it sad - all this complexity, all this litigation, all this unfairness."

But, really, they're somewhat schizophrenic on the subject because it's been very good for (them). Some recent California initiatives created some interesting conduct. Part of the defense bar lobbied quietly against certain propositions and, effectively, against their clients because they didn't want their clients to catch' em in the process. And the reason that they did so was because it became harder for plaintiffs to bring cases.

If you make a living fighting overreaching and it keeps your children in school and somebody proposes a system that eliminates it - well, that's an adult experience and an adult choice that you have to make.

So big corporations adapt. They have more litigation. They have to have a bigger legal department. They scream about what they don't like. But they adapt.

Q: But hasn't that legal complexity consumed a lot more of companies' resources over the last few decades?

The answer is yes. There's hardly a corporation in America that isn't spending more on lawsuits and on compliance with various regulations than it was twenty years ago. And, yes, some of the new regulation is stupid and foolish. And some was damn well necessary. And it will ever be thus, albeit with some ebb and flow.

2014年5月24日土曜日

2014年バークシャー株主総会;経営者コンビについて

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2014年5月に開催されたバークシャー・ハサウェイの年次株主総会、質疑応答のメモから「経営者コンビ」の話題です。今回の文章も、以前にご紹介したメモから引用しています。(日本語は拙訳)

<質問13:ベッキー・クイック> 後継者の質問はよくあげられますが、チャーリーの後継者は検討されていますか。お二人のような力強いコンビは続くのでしょうか。

<バフェット> わたしにとってチャーリーは「炭坑のカナリア」をしてくれています[先鋒役の意]。チャーリーは先日90歳に達しましたが、どうやら中年期をうまく過ごしているようで、わたしにとっても励みとなっています(笑)。しかしご指摘されたことはわたしも気になっていました。チャーリーの代わりのことを話に出す人はいませんね。わたしのあとを継ぐCEOがだれであろうと、親密な仲間といっしょに仕事をするだろうと思っています。これは実にすばらしい経営方式ですよ。わたしたちがいっしょに働いたことで、バークシャーは成功できました。そのことに疑問の余地はありません(拍手)。[コカ・コーラの]ゴイズエッタとキーオのコンビや、キャップ・シティーズのトム・マーフィーとダン・バークもそうです。お互いの才能を補うものすごい二人が組んだことで、会社は大きく発展しました。これはすばらしい経営のしかたです。しかし他の人ではうまくやれないでしょう。わたしの後継者の代になって数年たっても、だれかと付き合いを持ったりパートナーとなる人がいないとしたら、それはきっとおどろくでしょうね。そういう人がいることで業績が発展しますし、分かちあう楽しさもひろがります。しかしチャーリーの後継者となると、だれも話題にあげませんね。

<チャーリー> この世の中に心配ごとはそれほどないですからね。90歳にもなれば、みんなもうすぐお迎えの時期です。

<バフェット> カナリアが話していますよ(笑)。

Q13: BQ: Successor question is common, but any discussion about a replacement for Charlie? Dynamic duo still?

WB: Charlie is my canary in the coal mine. Charlie recently turned 90, and I find it encouraging how he is handling middle age. [laughter] But now I'm getting sensitive ‐‐ you raised a point ‐‐ they never talk about replacing Charlie. I think likely that whoever replaces me as CEO will have someone they work with very closely, it is a great way to operate. Berkshire is better off because we worked together, there is no question. [clapping] I do think Goizueta & Keogh, Cap Cities Tom Murphy & Dan Burke, and company accomplished far more because of two incredible people with complimentary talents. It is great way to operate. You can't will it to somebody. If a few years after successor takes over, I'd be very surprised if there wasn't some relationship or partnership, it can enhance achievements and the fun they have. But no one has brought up successor to Charlie.

CM: I don't think the world has much to worry about. Most 90 year old men are gone soon enough.

WB: The canary has spoken. [laughter]

2014年5月6日火曜日

経営者教育について(ウォーレン・バフェット)

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ウォーレン・バフェットが1994年にネブラスカ大学でおこなった講演その23です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問者> [子会社の]経営陣を訓練したり指導するにはどうすればいいと考え、バークシャーで実践されていますか。

<バフェット> おもしろい質問ですね。実のところ、なにもしていません。たぶん半分ぐらいの[子会社の]経営陣はMBAかビジネスに関する他の教育を受けていて、もう半分の方々はそうではないと思います。良き経営者がどう作られるのか、興味がありますね。というのはビジネスの言葉[=会計]を理解していなければなりませんし、わたしが言うところの「商売魂」や「商売志向」を持つべきだと思うからです。しかし、わたしとしては経歴のことはまったく気にかけていません。ソロモンにいたときには、履歴書をみせてほしいとはだれにも聞きませんでした。ですから彼らがどこの学校を出たのか知らなかったですし、それが違いになるとは考えていませんでした。ミセスBの話をしましたが、彼女に学歴を聞いて白紙を出してきても、わたしにはそれでかまいません。ボーシャイムズを築き上げたアイク・フリードマンが学校で何をしたのか、あるいはその前はどうだったのか、そういうことも知りません。わたしには全然重要なことではないのです。基本的なやりかたとしてわたしたちは、すでに事業を成功させた人から買収して、そのまま経営してもらうのを好んでいます。打率が3割5分とか3割7分5厘の人の事業を買ってそのまま楽しく続けてもらうほうが、空地で野球をしているところへ出かけて熱心に観察し、3割5分打てますとか3割7分5厘いけますと申告する人をみつけるよりもずっといいです。ただし後者のやりかたをしないとは言っていません。後者でやったことも何度かあります。ただ、前者で行けるならばそのほうがいいです。新人をちゃんと仕込むのは大変だとわかっていますから。わたしたちにはすばらしいマネージャーが揃っていますが、65歳を超える人も多く、ビジネスに関する教育を受けていない人もたくさんいます。ちなみにわたしとしては、ビジネスに関する教育が害になるとは思っていません。わたしもペンシルバニア大学とネブラスカ大学、そしてコロンビア大学で教わりました。3か所のビジネススクールへ通い、それぞれの場所でいろんなことを学びましたが、実際に多くを学んだのは後の2つの学校です。学校でビジネスを学んだことはかなり有利に働いたかもしれません。ですが、不可欠なことだとは思っていません。

Q. What kind of management training or mentoring do you believe in and actually practice at Berkshire?

A. Well, that's interesting. We really don't do any. Perhaps half of our managers have MBAs or have had other kinds of business training. Probably half of them didn't. It's interesting to me what makes a good manager, because I think you have to understand the language of business, and you should have what I would call a "business mind" or "business orientation." But, we don't care about background at all. When I was at Salomon, I did not ask to see anyone's resume. I didn't know where any of the dozen went to school. It just didn't make a difference to me. You know Mrs. B; if I asked her for her educational experience and she handed me a blank piece of paper, that would be fine with me. Ike Freidman, who built Borsheim's - I don't even know what he did in terms of school, or what he had done. It really is irrelevant to me. We basically like to buy into businesses where people have already succeeded and then keep them on. I would much rather have somebody who has been batting .350 or .375, buy their business and try and keep them happy than have to go out and start casting around the sandlots looking for people who tell me they are going to bat .350 or .375. I'm not saying I won't do the latter. We've done some of the latter, but when you can do the former, we like it. We find it's hard to teach a new dog old tricks. We've got some terrific managers, many of whom are over 65 and many of whom did not have a business education. I don't think a business education hurts, incidently. I got one at Penn, Nebraska and Columbia, so I went to three different business schools and learned a lot at each place. Actually, I learned more at the last two. It can be quite advantageous, but I don't think it is essential.

2014年4月24日木曜日

バークシャーという名のロック・コンサート(ウォーレン・バフェット)

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ウォーレン・バフェットが1994年にネブラスカ大学でおこなった講演その21です。質疑応答が3件です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問者> 会社を調べるときは3つのこと、つまり経営者、価格、人材のことを確認すると言われていました。なみはずれた株価にまで達したのは、人に関する分析が良かったからでしょうか。

<バフェット> その3つの中の1つなのですが、しかし3つすべてが大切です。たしか事業の「経済性」と言ったかと思います。つまり最高にすばらしい人がいても、わたしたちが30年前に買ったような織物の事業を経営するのであれば、好業績はあげられないでしょう。反対にコカ・コーラ社を経営すれば、みんなが仰天するほどうまくいくと思います。わたしたちが加わりたいと考える事業は根本的に優れた経済性を持っている、つまりコカ・コーラやジレットのような会社です。その次にくるのが人材と値段です。しかしどれも非常に大切なことです。

Q. You said that you look at three things when you are looking at a firm. You look at management, price and people. Is your analysis of people what makes your stock prices exceptional?

A. It's one of three, but it's all three things. I think I said the "economics" of the business. I mean, you can have the most wonderful person in the world, but if they are running a textile business like we had 30 years ago, they're not going to do well. On the other hand, if they're running Coca-Cola, they are going to do sensationally. So, we want to be in a business that has fundamentally good economics like a Coca-Cola or a Gillette or something of the sort. And, then we want people and the price. But all three are very important.


<質問者> 私の父は必死になって働いたことで、かなりの成功をおさめました。そんな家庭で育ったのですが、バフェットさんは仕事とご家庭をどのように両立されていますか。奥様を仕事のなにかと結びつけることがありますか。それとも2つはまったく別次元・別世界のものとしてとらえているのですか。

<バフェット> ちがいます。2つは別のものとして扱っています。今日ここに来ているわたしの娘は一度質問していたので、高校時代になって自分の父は「セキュリティー」の分析家だと他の人に説明したことがあります。わたしの仕事は家々などを調べてまわり、泥棒に侵入されないことを検証する何かだと考えていたのですね。仕事と家庭は別々のものだとわたしは考えています。自分のしていることが仕事だと考えたことはありません。生活のためにしているわけではなく、これが絶対一番やりたいと思えることをしているわけです。

Q. I've come from a family where my father works a lot and he's rather successful. How do you balance work with your family? Do you tie your wife into any of your work, or is it totally two different dimensions, two different worlds?

A. No, it's two different deals. My daughter, who is here, was doing an interview one time and explained that when she was in high school, she told people I was a securities analyst. She thought that meant I went around checking on homes or something to be sure they wouldn't be burglarized! No, work and family are two independent things. I don't consider what I do as work at all. I'm not doing this for a living. I'm doing it because I would rather do it than anything else I can think of in the world.


<質問者> 年次報告書の中で、株式交換や株式分割によって投資家の数を増やしたくないと書かれていました。しかし、ある種の大きな相互会社[投信]や巨大な持ち株会社となれば、なぜ使える資本の額を増やさないのですか。

<バフェット> たしかにそういったことはやりませんでした。株主数を増やすのとは違う話ですが、わたしたちは資本を追加することを望んでいません。毎年利益をあげることで自然と資本が増えるので、それで十分満足しています。現在の資本以上の妙案を持ち合わせていないのです。学校を出たころは資本以上にやりたいことがありました。ですが資本が決定的に不足しており、追加が必要でした。そこで1956年に共に参画してくれるパートナーを募ってパートナーシップを設立しました。しかしバークシャーは今後の運営に新たな資本を必要としないでしょう。そこで疑問となるのは、「だれが株主になるのか」「だれが株主の座を占めるのか」です。株式を100万株発行する場合、できれば私がと思うのですがだれかが保有することになります。全部の席が埋まると次の疑問になります。「ずっとその座を占めていてほしい人に、どうすればそう思ってもらえるか」、これはすごく簡単です。会場の外に「ロック・コンサート」と書いた看板を出せばその類いの人たちが来ますし、「オペラ」と書けば別の集団があつまります。どちらの集団でもよいのですが、オペラを期待してやってきた人たちが入ってみたらロック・コンサートだった、とはならないほうがよいはずです。その逆でも同じです。

ですから投資の世界と意思疎通してわたしたちの狙いを、つまりどのように考えているかやバークシャーと相性の合う人たちにどれぐらいの期間にわたって加わっていてほしいのか、そういったことを説明するのが大切だと固く信じています。これまでもずっとそうしてきました。バークシャー株の売買回転率が低い理由はそのためです。ニューヨーク証券取引所でいちばん回転率が低いのです。取引所はそれを好みませんが、わたしは気に入っています。というのは、株主でいてほしい人が株主となっていることを基本的に語っているからです。株式を分割したりすれば、少し違う人たちが入ってくるものです。ひどい集団ではないものの、以前の人たちとくらべて良いわけではありません。だれかが入ってくるには、だれかが出ていかなければなりません。わたしたちの目的や期間をわかっている人、別のことに焦点をおいている人々と対峙する人を失わないようにしたいのです。

Q. You say in your annual report that you do not want to increase the number of investors you have through a stock swap or a split, but if you are, in a sense, a large mutual company, a large holding company, why would you not increase the amount of capital available to you?

A. Well, we haven't; we don't want to increase the amount of capital, which is different than increasing the number of shareholders, of course. We get a natural increase in capital just by the amount we earn from year to year, and that's plenty satisfactory. I do not have way more ideas than I have capital at the present. When I got out of school, I had way more ideas than capital. I was definitely capital short and at that point I did need more capital. So that's why I formed a partnership in 1956 to have some partners join with me. But, Berkshire will not need new capital as we go along. Now, the question is, "Who are going to be your shareholders?" "Who is going to sit in every seat?" If you have a million shares outstanding, somebody has to own them, preferably me. All the seats get filled and then the question is, "How do you encourage the people you want to have in those seats to attend?" It's very simple. If you stick a sign outside an auditorium and say "rock concert", you will get one group and if you say "opera", you will get another group. Either group is fine, but you'd better not have people coming who think they are going to the opera and find that they are at a rock concert, or vice versa.

So, I believe in communicating with the investment world about our objectives - how we think, and the time horizons to draw a compatible group into Berkshire - and we've done that over time. That's why the turnover in Berkshire stock is so low. We have less turnover than any stock on the New York Stock Exchange. The New York Stock Exchange doesn't like it but I like that because it means that basically the people are there who want to be there. Splitting the stock or anything like that would tend to draw a slightly different crowd; not a terrible crowd, but not a better crowd than the crowd we have already. The only way somebody can enter is for somebody to leave. And we want to make sure that we're not losing people who identified with our objectives and horizons, to take on people who have some other different focus.


本ブログも看板を掛け替えたほうがいいでしょうかね。「投資翻訳練習所」とか。

2014年4月14日月曜日

バークシャーの組織運営について(ウォーレン・バフェット)

4 件のコメント:
ウォーレン・バフェットが1994年にネブラスカ大学でおこなった講演その20です。前回分はこちらです。(日本語は拙訳)

<質問者> あなたはバークシャー・ハサウェイを非常に効率的な組織として運営されています。大きく成長したというのに、どうすればそれほど贅肉が少ないのでしょうか。

<バフェット> いい質問ですね。現在の従業員は[グループ全体で]2万2千名か3千名、もしかしたら2万4千名になっているかもしれません。20年前にはたぶん千名ほどでしたが、今でも本社は10名か11名だけしか雇っていません。なるべく単純にするのが私の信条です。ですから社内には弁護士や広報はいません。守衛もいませんし、カフェテリアもありません。そのように運営するのは、実はすごく簡単です。ずばり言えば、上司に報告するような人の階層がいくつもあるよりもずっと仕事が進むと思います。ほとんどの会社にはムダがたくさんあります。一度ついたムダを取り除くのは非常に大変です。まったくそうしないのはすごく簡単です。相方のチャーリーはこんな言い方をします。「自分が死すべき場所はどこか知りたいね。そこには決して近づかないことにするよ」。巨大な組織というものに対して、わたしはそれと同じように感じています。つまりわたしに関する限りでは、それは事業の死を意味しています。ですから、わたしたちはそこに近づくつもりはありません。人を増やさないのは難しいことではありません。ただ誰も雇用しないだけで、今後もそうするつもりです。株式の売買もすべて自分でやっています。次のような質問を受けることがあります。「業務の上で、あなたに報告する立場にある人は何名いますか」。それが標準的な組織管理のやりかたなのでしょう、彼らは「最適な人数はこうです」といったことを教えてくれます。わたしからの答えは「正しい人を雇っているならば、たくさん人がいるのと同じ」です。その人たちが自分のしていることを理解し、喜んで仕事に臨んでいるのであれば、何十人何百人がいるも同然です。しかしくだらない人を雇ってしまえば、たとえ一人であっても多すぎです。悩みの種となるでしょう。つまり大切なのは「正しい人を雇うこと」です。きわめて有能な人たちといっしょに仕事ができて、わたしたちは非常に幸運でした。

当社は3年前に作業用靴のH.H.ブラウン社を買収しました。従業員はおよそ4千名で売上げが2億5,000万ドル程度です。同社のどの工場にも行ったことはないですし、他のだれも行っていません。もしかして存在していないのかもしれません。つまりは、同社の人たちは毎月こんな風に話し合っていると思います。「今月はウォーレンにどれだけ送ったらいいだろうか。280万ドルでどうかな。そうだな、たぶん彼はそれでいいと思ってくれるだろうから、送っておこう」。このように正しい種類の人を得たのです。ブラムキン一族がファニチャー・マートなどを経営している以上、一体わたしに何ができるでしょう。そこへ出向いて、「これの小売価格は398ドルではなくて498ドルにしたほうがいい」と彼らに忠告すべきでしょうか。そういったことは、わたしにはまったくわからないのですが。

子会社の経営者のうちの4分の3は、経済的に独立した人たちです。何億ドルもの資産を持っている人ばかりで、朝起きて仕事に行く必要はまったくありません。ですからわたしとしては、今日も明日も仕事に行くことが彼らにとってのいちばんの楽しみだ、という雰囲気をつくりだしたり、維持しなければなりません。そこで「自分ならどうすればそう感じるだろうか」と自問してみました。自分自身のショーを自分で運営していると感じられれば、そのひとつと言えると思います。もしわたしに対して一日中とやかく言う人がいたら嫌気がさして、「なぜこんなことをやる必要があるのだろうか」と考えるでしょう。わたしが子会社の経営者に対して後ろ向きなことばかり言ったり、仕事のやり方を指示していたら、 彼らもちょうど同じように感じるでしょう。良き人たちがいれば、わずかの人数でやっていけます。わたしたちのやろうとしているのは、そういうことです。

Q. You keep a very lean machine going at Berkshire Hathaway. How do you keep it so lean when it grows so much?

A. Well, that's a good question, because now we have 22,000 employees or maybe 23,000 or even 24,000, I guess. We probably had 1,000 twenty years ago but we've still got 10 or 11 people in headquarters. I really believe in keeping things simple. We have no inside counsel. We have no public relations people. We have no guards. We have no cafeteria. And, it's a lot easier to run that way. Frankly, I think way more gets done than if you have floor after floor of people that are reporting to people on the floor above them. I see so much waste in most companies and once it gets there, it is very hard to get rid of. It's much easier never to get there. My pal Charlie says that, "All I want to know is where I'm going to die, so I'll never go there." And, that's the way I feel about a large organization. I mean, that would be business death as far as I'm concerned; so we're not going to get there. It's not a problem keeping it down. We just don't hire anybody and we won't. I buy and sell all the stocks myself. Some people say, "How many people can you have reporting to you in a business?" That's standard organizational management stuff. They say, "The optimum number is this" or something like that. The answer is, if you've got the right kind of people, you can have tons of people. You can have dozens and dozens and dozens of people, if they know what they are doing and they like their jobs. But if you have somebody who's a clown, one is too many. They will drive you crazy. The trick is having the right people. We have been very fortunate in getting in with people who are extremely able at doing their jobs.

We bought H. H. Brown, which is a work shoe company, three years ago. It has probably 4,000 employees, and two hundred and fifty million dollars in sales. I've never been to one of their plants. No one ever has. Maybe they don't even exist. I mean, maybe those guys sit there every month and say, "What figures should we send Warren this month? $2.8 million, will he like that? Yeah, he'll probably like that; let's mail it to him." I've got the right kind of people. If you've got the Blumkins running the Furniture Mart or something, what can I do, you know? Should I go out there and tell them we should price this stuff at $498 retail instead of $398? I don't know anything about it.

Three quarters of our managers are independently wealthy. They don't need to get up and go to work at all. Most of them have tens and tens of millions of dollars. So, I've got to create or I've got to maintain an environment where the thing they want to do most in the world is to go to work that day and the next day. And, I say to myself, "What would make me feel that way?" One way is to feel you are running your own show. If I had people second-guessing me all day, I would get sick of it. I would say, ‘What the hell do I need this for?" And, that's exactly the way our managers would feel if I went around second-guessing them or telling them how to run their business. So, you can get by with very few people if they are good people. That's what we try to do.

備考です。バークシャーの2013年度の年次報告書によれば(p.107)、現在の従業員は33万名で、そのうち本社には25名とのことです。その本社一同の集合写真が、今回の「株主のみなさんへ」に載せられていました(最終ページ)。残念ながらチャーリー・マンガーの姿はみられません(カリフォルニア在住のため)。

2012年9月22日土曜日

還暦前のわたしのいけない癖(トーマス・J・ワトソン・シニア)

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前回の投稿で「より積極的な経営者であれば、もう一歩進んで谷の局面では買収を行い」とありましたが、昔に読んだ本の一節を思い出しました。今回は、IBMのワトソン・Jrが書いたその本『IBMの息子』から、彼の父親である当時のIBMの社長ワトソン・Srが世界恐慌の最中にくだした決断を引用します。

景気回復は目前に迫っていると信じていた父は、大不況にさいして、思い切った方針を打ちだした--生産の拡大、である。父は困難な時期こそ事業拡大の好機ととらえたのだ。販売が落ち込んで工場の稼動率が落ちると、父は、需要の回復に備えて倉庫に予備部品をどんどんためこむように命じた。営業部門にはよりいっそう販売を強化するよう促して、セールスマンの採用を増やした。後年、父が好んで語ってくれたエピソードに、次のようなものがある。ある日、父は画廊を訪ねた折りに、統計機分野におけるIBMの最大のライヴァル、レミントン・ランド社の総帥、ジム・ランドとばったり鉢合わせしたのだそうだ。大不況が泥沼の状態に陥っていた1933年のことである。さしもの父も参っていると見たのだろう、ランドはこう声をかけてきたという。「やあ、トム、君はまだセールスマンを雇っているのかね?」
父は答えた。「ああ、雇っているとも」
「そいつは驚きだ!」ランドは首をふった。「いまやどの企業も社員を一時解雇しているというのに、きみは新規にセールスマンを雇っているというわけか。それは豪気なことだな」
「私もこの道一筋でやってきた男だよ、ジム」父は答えた。「そしてもうすぐ60になる。この人生の節目を迎えた男にはいろいろなことが起きるものでね。急に飲酒に耽りだす者もいれば、若い女性に入れ揚げる者もいる。わたしのいけない癖はセールスマンを雇うことなんだ。だから、これからも雇いつづけるつもりさ」

これが別の業種だったら、父は破産していたかもしれない。けれども、IBMに関するかぎり、父の方針は正しかった--それに、幸運にも恵まれたと言っていいだろう。ニュー・ディールの間に、IBMの規模は倍に成長したのだ。1933年のはじめに全国産業復興法が成立すると、全企業は突然連邦政府に対し、史上未曾有の膨大な情報を提供しなければならなくなった。それを処理するために、政府官庁はIBMの機械を数百台と必要とした--ルーズヴェルトの、福祉、価格統制、公共事業計画を軌道にのせるためには、それしか方法がなかった。1935年に実施された社会保障のおかげで、"アンクル・サム"はIBMの最大の顧客となったのだ。膨大な情報に呑み込まれないようにする数少ない方法の一つは、IBMに電話を入れることだった。こうして、アメリカ全土の基本的な統計が、穿孔カードに入れられたのだった。(上巻 p.60)

2012年9月20日木曜日

景気循環型企業の経営者が考えること

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少し前に取り上げた『企業価値評価』第4版の下巻では、景気などの周期的変動による影響が大きい企業を評価するやりかたにも触れています。このような循環型の企業は、消耗品を扱う「質の高い」企業と違って年次ごとの利益が変動しやすく、企業価値が測りにくいものです。これは投資家にかぎらず、企業を経営する側にも同じことがいえるかもしれません。今回は、そういった企業の経営者が留意すべきだと本書の著者が主張する箇所を引用します。

企業の経営者は、業界の周期的変動の幅を減らす、ないしは、うまく利用できないだろうか。筆者の経験によると、残念ながら経営者はむしろ誤って変動の幅を大きくしてしまっていることが多い。(中略)汎用化学企業は、全体でみると、価格や収益性が高いときに巨額の投資をしていることがわかる。それによって生産能力が大幅に拡大するため、稼働率が急に下がり、結果として価格の低下やROICの低下を引き起こす。このような周期的な生産能力拡大への投資が、周期的な利益変動を起こす原因となっている。顧客の需要の変動が利益変動の原因ではなく、生産者の供給量の変化がその原因なのである。

自社の製品市場に関し、詳細な情報を把握している経営者は、資本市場よりも周期をよく理解し、適切なアクションがとれるはずである。しかし、実際には、それができないのはなぜだろうか。経営者らと議論してみると、このような行動には3つの要因があることがわかった。第1に、価格が高いときは手元に資金があるため、投資がしやすい。第2に、高い利益を生み出しているときほど、投資に対する取締役会の承認を得やすい。最後に、競合が自社よりも速いスピードで成長しているかどうかが問題である(投資はマーケットシェアを維持するための方策の1つなのである)。

このような行動は、資本市場にも紛らわしいシグナルを送ることになる。価格が高いときに事業を拡大すれば、資本市場は将来の見通しが明るいと考えるだろう。また、これは、業績が下降周期に入る直前に起きることが多い。反対に、業績が上昇に転じる直前の、悲観的なシグナルも、同様に市場を混乱させる。資本市場が周期的な変動のある企業の価値評価に苦労しているのは、驚くべきことではないのかもしれない。

経営者は、業界の周期についての理解をどうビジネスに生かせるのだろうか。最もわかりやすいのは、設備投資のタイミングをはかることである。加えて、ピークで新株発行を行い、谷の局面では自社株の買戻しを行うなど、財務戦略にも利用できる。

しかしより積極的な経営者であれば、もう一歩進んで谷の局面では買収を行い、ピークで資産売却を行うであろう。(中略)

しかし企業は、本当にこのとおりに行動できるのだろうか。実際には、業界の見通しが悪くて競合が業容を縮小しているなかで、自社だけ拡大すべく、取締役や銀行を説得する、あるいは競合が周期のピークで投資を増大させるなかで自社は投資を切りつめる、というように逆を行うのは非常に難しい。そこで、周期的な変動をより悪化させてしまうことが多いのだ。周期を断ち切ることは可能だが、それができるCEOは非常に少ない。(p.321)


「価格や収益性が高いときに巨額の投資をしている」の一文は、昨今の薄型テレビを思い起こさせるものです(過去記事)。また「経営者が適切なアクションをとれない」のくだりでは建前の発言が書かれていますが、実際には以下のような心理学的傾向が働いていたのではないでしょうか。
ウォーレン・バフェットが言うように経営者の人となりを把握したり、また業界や企業風土を把握することも投資家にとっては重要な仕事ですね。